格闘技PRESSBACK NUMBER
関係者の証言はいずれも食い違い…「プロレス史上最大の謎」42年前のアントニオ猪木“舌出し失神事件”の真実は? 実弟は「自作自演の可能性も…」
posted2025/03/19 11:06

今から42年前、ハルク・ホーガンに敗れ救急搬送されたアントニオ猪木。一方で、その後の顛末には多くの怪情報が飛び交うことに…
text by

欠端大林Hiroki Kakehata
photograph by
Hiroki Kakehata
2022年、79歳で亡くなったアントニオ猪木。今なお熱烈なファンを擁する猪木だが、1983年ハルク・ホーガンとの「第1回IWGP決勝戦」で、プロレス界を揺るがす「大事件」を起こしている。「猪木舌出し失神事件」――プロレスファンの間で、いまなお語り継がれる、あまりに有名な事件だ。だが、その経緯は40年以上経ったいまも謎に包まれている。一体、あの時本当は何が起こっていたのか。事件翌日の6月3日、情報の錯綜は混迷を極めていくことになる。《NumberWebノンフィクション全3回の2回目/1回目、3回目を読む》
病院送りになった猪木…情報は錯綜
ホーガンとの試合で「失神」後に病院送りとなった猪木は深夜、密かに実弟・啓介氏の運転するクルマで病院を脱出していた。
ところが、ここからミステリーのような報道が続く。以下は翌日早朝から病院に張り込んでいた東京スポーツの情報だ。
<6月3日>
ADVERTISEMENT
〇6:00 病室のドアには「面会謝絶」の張り紙。エレベーター前には髙田伸彦(現・延彦)、後藤達俊の2名が徹夜で待機。
〇8:00 倍賞美津子夫人の実父、美悦さんが病院に見舞い。病室に病院食が運ばれる。「食欲がない」とほとんど箸をつけず。
〇10:20 再検査を実施。「選手、関係者で厳重にガードされた猪木が、頭までスッポリ、毛布をかぶり、移動用ベッドで検査室へ」。
〇12:20 猪木の退院が決定。新間氏が「この病院は一応出るが、別の病院に転院する」と説明。「裏に待たせてあった車にいぜん頭までスッポリ毛布をかぶった猪木を運び込み、そのままフルスピードで病院を後にした」。
猪木は深夜に病院を脱出しているにもかかわらず、本人が病院内にいる前提での記事内容となっている。
気になるのは、このとき記者は猪木本人の姿を確認しておらず、また本人と確認できる写真がないことだ。「頭からスッポリと毛布をかぶった猪木」の描写はあるが、まるで逮捕された容疑者のように毛布で体全体を隠されていたという。