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「プロレス史上最大の謎」42年前のアントニオ猪木“舌出し失神事件”の真相を追う…実弟が語った衝撃の真実「病院着のままの兄貴と美津子さんを…」
text by

欠端大林Hiroki Kakehata
photograph byMoritsuna Kimura
posted2025/03/19 11:05

今から42年前の第1回IWGP決勝戦でのハルク・ホーガンとアントニオ猪木。この試合でホーガンの攻撃を受けた猪木は失神し、救急搬送されることに
プロレス史に残るその「事件」が起きたのは、いまから42年前の1983年6月2日、「第1回IWGP決勝戦」でのことだった。
猪木がハルク・ホーガンにKO負けを喫したこの試合は、プロレス界の伝説として語り継がれており、日刊スポーツによる「アントニオ猪木のベストバウト」アンケート(2022年10月)で2位に食い込んだことでも分かるように、猪木ファンの記憶に残る衝撃的な試合だったことは間違いない。
「真の世界最強を決める」というコンセプトのもと、当時の新日本プロレスが3年の準備期間を経て創設したベルト、それが「IWGP」(インターナショナル・レスリング・グランプリ)だった。
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予選を勝ち抜いたのは、新日本のエースであった猪木と全盛期の“超人”ハルク・ホーガン。蔵前国技館におけるシリーズ最終戦で、両雄は栄えある「初代IWGP王者」の座を賭け激突した。
「猪木の勝利を100%、信じていました」
そう語るのは事件当日、超満員の会場に足を運んだという元経産官僚で慶応大学大学院教授の岸博幸氏(62歳)だ。
一橋大学に通う大学生だった岸氏は熱烈な「猪木信者」で、猪木の完全勝利を見届けるべく、友人とともに蔵前国技館に駆け付けたという。
「エプロンでホーガンのアックス・ボンバーを受けた猪木が、なかなか起き上がってこない。そのうちリング上でホーガンが猪木の様子を心配するようなそぶりを見せ始めたのが分かり、観客がザワめき始めた。KO負けした衝撃もさることながら、あのときの場内の異様な空気感は、いまでもはっきりと覚えています」(岸氏)
「猪木のための」王座だったはずが…
IWGPのベルトは、当時の新日本プロレスが社運をかけた、いわば「猪木の、猪木による、猪木のための」王座だった。
ファンだけではない。猪木のマネージャーであった新間寿氏(新日本プロレス営業本部長=当時)、団体ナンバー2の坂口征二、レフェリーのミスター高橋、試合を中継したテレビ朝日……すべての関係者が猪木の勝利を信じて疑わなかった。