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プロレスの常識をぶっ壊した“理不尽大王”冬木弘道の早すぎる死から20年…蝶野よりも早い“悪役”パイオニア、邪道&外道を見抜く慧眼
posted2023/03/19 11:01
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
東京スポーツ新聞社
※本稿に登場する写真には流血等を含みますのでご注意ください。
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3月19日は理不尽大王としてプロレス界に大きな足跡を残した冬木弘道さんの命日。2003年に42歳の若さで亡くなられてから、もう20年が過ぎてしまった。
極論「何をやっても構わない」幅広きプロレス界において、エンターテインメント色の強いスタイルを標ぼうしていた冬木(以下、敬称略)は、自身のパフォーマンスだけでなく、「試合を組み立てる」という重要な作業において、鋭い頭脳で試合を解析しては仲間の選手や後輩、報道陣などに伝える能力に秀でた人でもあった。
冬木不在の20年。日本国内のプロレス界もかなり様変わりした。だが、そのプロレス遺伝子は各団体へと散った愛弟子というか“子分”たちによって受け継がれており、その影響下にある選手は今も数多い。
「実は大腸がんになっちゃってさ…」
冬木がバックステージにて顔なじみの報道陣に「大腸がん」を告白したのは2002年4月7日、NOAHの有明コロシアム大会における三沢光晴戦を控えた試合前のこと。たしか控室前の通路だった。立ち話しつつ「実は大腸がんになっちゃってさ……。治療に専念しなきゃなんないから、もうプロレスは辞める。引退するよ」と、かなり唐突に切り出してきた。
それまでも数限りないウソやハッタリ、対戦相手や観客をも欺くような発言や仕掛けを繰り返してきた理不尽大王の言うことだ。その場にいた誰もが真に受けなかった。それどころか「冬木さん、いくらなんでもそれは洒落にならないですよ。世の中には本当にがんで闘病している人もいるんだから!」と、当の本人に厳重注意までしていた。
ところがそれは洒落や冗談ではなかった。試合後になって、大腸がん告白はどうやら本当らしいということをNOAHサイドの慌しい動きによって知ることになる。
2日後(4月9日)の冬木軍・後楽園ホール大会の控室にて冬木引退が正式発表され、その場にNOAHの社長でもある三沢が同席していたことで、誰もがそれを信じることになる。緊急事態ゆえ、ディファ有明の空き日(4月14日)を急きょ、冬木軍プロモーションの大会に変更したうえで、冬木の引退試合が行われることが発表された。
驚いたり、引退を惜しむような時間もなく、4月14日の引退試合(冬木、三沢、小川良成vs田上明、井上雅央、菊地毅)と引退式を終えた冬木は、ただちに手術、闘病、入院生活へと入る。そして翌2003年3月19日に天国へと旅立ってしまった。すべてがあまりに急だった。