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「落合博満さんに会った。でも内容は口がさけても言えない」あれから36年、中日OB・鈴木孝政が明かす“落合造反事件”の真相…星野仙一に呼び出された夜
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岡野誠Makoto Okano
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2025/03/13 11:03

中日時代の落合博満(1987年撮影)
「ある試合で、監督自らマウンドに来たの。『どうや?』と聞かれたから、『まだ大丈夫です』と答えた。そしたら、『お前は大丈夫だけど、俺はもうダメだ』って言われた(笑)。うまいこと言うなと思ってね、すぐボールを渡しましたよ」
引退会見直後に…124勝目を挙げた
引退会見で「相手の打者はごまかせても、自分のボールはごまかせない」と話した10月7日、乱打戦の中で5回から登板すると、最後まで投げ切って124勝目を挙げた。この日も落合は2ホーマーを放ってくれた。
「ヒーローインタビューで、『先ほど引退を発表した鈴木孝政投手です』って紹介されましたからね。前代未聞じゃないの(笑)。こんな日に勝ち星が転がり込むなんて、野球の神様からのプレゼントだと思いましたね」
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1週間後、星野はナゴヤ球場の最終戦で孝政を先発させた。当時、公式戦での引退試合は珍しかった。落合が2打席連発を放つも、35歳のベテランは5回に力尽きた。それでも、満足感しかなかった。
最後の登板、星野の“一言”
「本当にありがたかった。感謝、感謝ですよ。翌年のオープン戦でも引退試合をしてくれてね。打者1人に予定通り投げた後、マウンドに来てくれた。なんていうのかなと思ったら、真顔で『代えんぞ』って。その直後、大笑いしてましたよ」
星野との3年間、その振る舞いに違和感を覚える時もあった。投手交代に異を唱えた時もあった。だが、徐々に監督と選手の関係になり、最後は感謝の気持ちで、孝政は17年間の現役生活に幕を閉じた。
人の感情は複雑である。星野には、孝政への嫉妬心もあったのかもしれない。一方で、功労者の引き際を千思万考するほど情も深かった。そして、一筋縄では行かない実績十分の落合には遠慮を隠せなかった。チームメイト時代には知り得なかった仙さんの人間らしさを肌で感じながら、35歳の男は次のステージへと向かった――。
〈つづく〉
※1 89年1月18日付/中日スポーツ
※2 89年1月18日付/スポーツニッポン
※3 89年2月6日号/週刊ベースボール
※4 89年1月21日付/スポーツニッポン
※5 89年1月22日付/スポーツニッポン
