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「落合博満さんに会った。でも内容は口がさけても言えない」あれから36年、中日OB・鈴木孝政が明かす“落合造反事件”の真相…星野仙一に呼び出された夜
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岡野誠Makoto Okano
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2025/03/13 11:03

中日時代の落合博満(1987年撮影)
「落合さんは開口一番、『何しに来たんだ?』。いつものパターンですよ(笑)。『オーストラリアに一緒に行きましょう』とお願いしました。落合さんはずっと話を聞いていて、何も言わなかった。説得すればするほど、行かない人ですよね。だから、逆効果だよなと最初から思ってましたけどね」
22日、星野監督、伊藤濶夫球団代表、落合の三者会談が行われた。当時は首脳陣批判と取られる発言への謝罪に報道の焦点が当てられたが、実は豪州行きも大きなポイントだった。絶対的な権力者として振る舞う星野も、三冠王の言い分は認め、落合は二軍の沖縄キャンプで調整した。
現役最終年…孝政は二軍スタート
星野は主砲の扱いに手を焼きながら、ベテランの処遇にも頭を悩ませていた。孝政を一軍キャンプに帯同させたものの、開幕メンバーには選ばず、二軍の開幕戦で先発を命じた。
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「稲葉(光雄)コーチに言われてね。最初、断ったんですよ。だって、投げるべき若いピッチャーがたくさんいるから。でも、『一軍からの命令だから』って。意図はわからなかったけど、コーチを困らせてはいかんなと思って投げました」
客の少ない甲子園球場に「年齢違反じゃねえのか!」「コーチが投げちゃいかんぞ!」という阪神ベンチからの野次が響いた。
「俺の生き様を見せてやろうと思って、3イニングをピシャリと抑えてやりましたよ。野球人生の中で、いちばん爽快な気分でしたね。ざまあ見ろって」
星野はベテランに二軍の開幕投手を命じることで、失いかけていた闘争本能を刺激したのかもしれない。孝政はウエスタン・リーグで7試合に投げて3勝0敗、防御率1.23という好成績を上げ、5月11日一軍に昇格した。
「そしたら監督にね、『もうお前は何があっても下に落とさないから』って言われた。これも悲しかった。競争の世界で、そう言われてみなさいよ。特別扱いなんて嬉しくなんかないの。だから、『いい着地をさせよう』としか考えてなかったと思う」
「引退時、監督の悪口言う選手が多い」
3年目にして、孝政の中で星野は“監督”になっていた。
「選手って引退する時、監督の悪口を言う人が多いんですよ。みんな使われなくなって辞めるから、どうしてもそうなってしまう。だから、それだけは絶対やめようと思っていた」
ベテランは、与えられた場所で咲こうとした。6月15日、今季初先発を果たすと、落合がホームランを含む猛打賞で援護。6回3失点で2勝目を挙げた。だが、その後はノックアウトが続き、限界を悟った。