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星野仙一と落合博満の“不仲説”…落合が新幹線でピリついた“マンガ禁止令”「誰に言われたんだ?」2人の関係を知る中日OBの証言「クロマティの乱闘で…」
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2025/03/13 11:01

1986年12月、中日への入団発表で握手する星野仙一監督(当時)と落合博満
「ワシは監督じゃ!!」
2人は10秒も経たないうちに退散した。
「一言で終わりましたよ。『ワシは監督じゃ!!』……わかってるって(笑)」
乱闘で“国民栄誉賞”に…「タマげました」
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星野は、常に感情を剥き出しにした。87年6月11日、熊本での巨人戦で宮下昌己がクロマティの背中に死球を当てる。マウンドに駆け寄った助っ人は「帽子を取って謝れ」とジェスチャーを示すも、宮下は行動を起こさない。怒りが頂点に達したクロウは顔面に右フックを見舞った。
「あの時の星野さんにはビックリしたな……。俺もベンチからマウンドに行ったけど」
巷間、星野監督は王貞治監督に拳を突き出し、「グーはダメでしょ!」と抗議したと伝えられている。だが、真実はそれだけではなかった。乱闘に駆けつけた孝政は一瞬、耳を疑った。
「あの王貞治・大監督の襟首を掴んで『どういう教育しとるんや!』って関西弁で怒ってました。タマげましたよ……。王さんがクロマティを教育してるわけないのに……って思いながら見てましたけどね(笑)」
7歳年上の国民栄誉賞受賞者に歯向かったことで、“闘将”のイメージが浸透した。
「落合さんだけ言われない…」
世界のホームラン王にさえ遠慮しない星野も、ある男には気を遣っていた。宇野と孝政が一喝された後も、試合後のミーティングは毎日続いた。すると、選手たちは別の角度から不満を抱き始めていた。若手からベテランまで全員が吊し上げられる中、落合は打てなくてもミスをしても、咎められないのである。
「みんな、『落合さんだけは言われないな』って勘付いてましたよ」
ある人には怒りの顔を見せても、他の人には控えめな態度を取る。人間の逃れられない習性だ。しかし、指揮官は全員にその振る舞いを見られている。不信感を抱かれれば、チームは空中分解してしまう。監督・星野仙一が直面した難題だったであろう。この矛盾をいかに解消したのか――。
〈つづく〉
