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「とうちゃんの給料が安い」落合博満“夫人”が猛反論「3億円欲しい」中日・落合まさかの年俸調停のウラで…星野vs落合の不仲説、星野監督との知られざる関係 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2025/02/24 11:04

「とうちゃんの給料が安い」落合博満“夫人”が猛反論「3億円欲しい」中日・落合まさかの年俸調停のウラで…星野vs落合の不仲説、星野監督との知られざる関係<Number Web> photograph by KYODO

2011年2月オープン戦、中日対楽天。メンバー表を交換する楽天・星野仙一監督と中日・落合博満監督

 実は、そんな信子夫人の著書『悪妻だから夫はのびる』(光文社)表紙カバーそで掲載の推薦文を星野が書いていることは、あまり知られていない。「勝負する男にとって、家庭における奥さんの役割は甚大だ。なぜなら、男はのせられるほど大きくなるからだ」と書く星野は、ある面では三冠王のプライドを立て、時にのせて気分よくプレーさせた。一軍のオーストラリアキャンプには帯同させず、二軍の宮崎・串間での調整を容認したのも、その一環だ。

「落合の我儘を許したなどとスポーツ紙に書かれたが、それは、あくまでも僕の意思だったのである。僕は、落合が四月の開幕を迎えるまで、一山しかつくらない超一流のプレーヤーであることを認識し、彼のためにもチームのためにもベストな方法を実行したまでにすぎない。(中略)落合はこれほど他の選手とは格が違うのである」(オール讀物1993年2月号)

 指揮官・星野はクレバーだった。熱い“闘将”を演ずる一方で、自分の哲学ややり方を押し付けるよりも、落合の野球観を信頼して自己流調整を認めた。結果的にそれがチームの勝利に繋がると割り切っていたのである。

“星野監督辞任”ニュース「自分のことだけを考えよう」

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 年俸調停で開幕前から不穏な空気が漂っていた1991年シーズン、序盤に左足ふくらはぎの筋膜炎で約1カ月間欠場するが、復帰後の背番号6は絶好調だった。打撃三部門のタイトル争いに顔を出し、9月14日にはリーグ最速の30本塁打に到達。自身92試合目の出場で30号という、37歳の年齢を感じさせないハイペースでホームランを量産した。中日は8月終了時、2位広島に4.5差をつけ首位を走っていたが、9月に急失速。そのV争いの最中に、星野監督の辞任が報じられるのだ。落合は当時の心境を自著でこう振り返る。

「シーズン中の、それも優勝争いの大詰めにきてのこの報道に、選手は精神的な緊張感を失ってしまった。この報道の真偽よりも、なぜこんな時期にこんな話題が出るのかという疑問が闘争心を奪っていった。私は急激にしらけていくチームを見ながら、それなら残りの試合を自分のタイトルのことだけを考えて戦っていこうと決意した」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)

 最終的に落合は本塁打王こそ獲得したものの首位打者を僅差で逃し、中日は3ゲーム差の2位と広島に逆転優勝を許して、闘将はチームを去った。星野は愛妻の健康問題に加えて、自身もベロビーチ・キャンプで運転していた車が後ろから追突され、後遺症の酷いムチウチ症に悩まされていたという。

【次ページ】 だから中日を出る決断をした

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