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元巨人選手が“寺の住職”になっていた…戦力外から7年「朝4時半起きの修行」阪神ファンだった事故犠牲者との出会い「自分が“元プロ野球選手”だと明かした」
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岡野誠Makoto Okano
photograph byHiroki Fujioka
posted2025/02/16 11:05

1984年ドラフト2位で巨人に入団した藤岡寛生さん。現在は寺の住職に
「何かできないかなと思いまして。同期の藤本健治が巨人の広報でしたから、胴上げのありそうな日の切符を頼みました」
プラチナチケットを渡すと、遺族は「なんで手に入ったんですか?」と驚きの表情を浮かべた。その時、初めて自分は元プロ野球選手だと明かした。
マジック1で迎えた9月29日、父は娘の写真を抱えながら、甲子園に赴いた。初回、金本知憲のタイムリーで先制した阪神は巨人の内海哲也を4回KOに追い込み、投げては先発・下柳剛が6回無失点。7回からは藤川球児、ジェフ・ウィリアムス、久保田智之のJFKで締め括って、岡田彰布監督が宙に舞った。
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「選手の頃は、他人を蹴落としてでも上を目指して、自分さえ良ければいいという感覚でプレーしていました。そんな人間が今、こんな仕事をしている。自分でも驚きます」
「何事も受け入れなければ、仕方ない」
僧侶になった時、「やっとその気になってくれたか」と泣いた父親の後を継ぎ、2016年10月からは7代目の住職に。少子高齢化や核家族化の影響で、寺の維持も楽ではない。
「住職の試験では、より専門的なお務めの作法だけでなく、お寺の経営の仕方も学びました。寺院費をいただける門徒の戸数が多いに越したことはない。でも、少なくても維持する方法を知っておかないと、お寺は運営できない。私の代で辞めるわけにはいかないですから」
世の中は諸行無常である。藤岡の人生も、絶え間なく変化し続けてきた。その間、「もしケガをしなければ……」「もし二軍落ちのタイミングがズレていれば……」と空想に耽ることはなかったのか。
「結局、力がなかった。それだけのことなんです。巨人時代から自分なりに練習に励んできましたし、日本ハムに拾って頂いてチャンスももらった。ケガは突然やってくるし、予測できない。何事も受け入れなければ、仕方ない。だから、悔いはありません」
江戸時代から先祖代々受け継がれてきた寺院で育ち、僧侶になってから600を超える葬儀を勤めてきた。幾度も、死という人生最大の悲しみに直面する中で、藤岡は悟った。往時を悔やまず、日々の仕事に懸命に向かう。その姿勢こそが人の生きる道である、と。
