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「ずっとどんぶり勘定で…ガクっときた」J3に低迷“ぬるま湯クラブ”を69歳社長はどう変えたのか?「これじゃあ、絶対に上がれない」カターレ富山の挑戦
text by
宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya
photograph byTetsuichi Utsunomiya
posted2025/01/27 17:00
カターレ富山の左伴繁雄社長(69歳)。クラブの経営状態を刷新し、就任4年目でJ2昇格へと導いた
「年間13位だったチームを、次の年に3位以内にするには、どうすればいいのか? いろいろ話を聞いていると、勝率を上げるにはまず守備を安定させたほうがいいと。ディフェンスラインで計算が立つのは松田直樹だけだったので、ヴェルディから中澤佑二を獲ってくることにしました。中盤は俊輔が海外移籍してしまったので、ジュビロ磐田でちょっとくすぶっていた奥大介をレンタルで獲得。そして前線には、コンサドーレ札幌のウィルを引っ張ってくることに成功しました」
「サラリーマンの給料じゃワリが合わねえ!」
2002年に年間2位を達成すると、左伴は3年目の2003年に、元日本代表監督の岡田武史を新たな指揮官に招聘する。理由は2つ。まず、日本語でコミュニケーションができる指導者が望ましかったこと。そして、岡田が個性派揃いの選手たちに一目置かれる存在であったこと。「何しろ当時、ワールドカップで指揮を執った、唯一の日本人指導者でしたからね。そこは僕なりに考えましたよ」と当人は笑う。
左伴と岡田のコンビで、横浜FMは2003年と04年にクラブ史上初の(そして現時点で唯一の)連覇を達成。そして左伴は「こっちの世界」で生きることを決断する。
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「2003年に出向ではなく、マリノスに転籍させてもらいました。選手と同じく、自分も単年契約のプロになろうと。そのほうが、出向よりもサラリーが高くなりますし。そもそも、毎日が切った張ったの連続でしたから。『サラリーマンの給料じゃワリが合わねえ!』って思ったのも、大きかったですね(笑)」
<続く>