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「ずっとどんぶり勘定で…ガクっときた」J3に低迷“ぬるま湯クラブ”を69歳社長はどう変えたのか?「これじゃあ、絶対に上がれない」カターレ富山の挑戦
text by
宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya
photograph byTetsuichi Utsunomiya
posted2025/01/27 17:00
カターレ富山の左伴繁雄社長(69歳)。クラブの経営状態を刷新し、就任4年目でJ2昇格へと導いた
「ホームで19試合を戦って、負けたのは1試合だけ。それと38試合で引き分けが16試合と、J3になってから最も多かった。あと今季の54得点のうち、残り30分で決めたのが14ゴール、アディショナルタイムでは8ゴールですよ。松本との決勝は、まさに数字どおりの展開になりましたよね」
プレーオフを突破する確度についても、左伴は「ウチは県総で2試合できて、プレーオフは引き分けでもいいわけだから、勝ち上がりの確率は95%以上」との見解を示している。これまた、終わってみれば社長の見立て通りとなった。
丹念に数字を拾い、仮説と実証を積み重ねながら、結論を導き出す。方向性が定まれば、スタッフと選手に大号令を発し、クラブ一丸となって突き進む。2021年の社長就任以来、左伴はこのスタイルを貫き、4年目にしてJ2昇格という悲願を達成した。
「どんぶり勘定」だったカターレ富山のリアル
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左伴が初めてJクラブの社長となったのは、45歳だった2001年、日産自動車から出向という形で横浜F・マリノスの社長に転じた時であった。以降、湘南ベルマーレの常務取締役および専務取締役、清水エスパルスの社長を歴任。そして2021年、富山の社長に就任した時には、65歳になっていた。
それまで気にもとめなかった富山という土地で、2015年以来ずっとJ3でくすぶっていたクラブの社長のオファーを受ける。その経緯と理由については、のちほど語ってもらうとして、まずは就任当時のクラブの状況を振り返ってもらおう。
「想定はしていたんだけど、ベンチマークがきちんとできていない経営をやっていましたね。競合他社のデータというものに無頓着。たとえばチケット単価がJ3の中で何番目なのか。本気でJ2に行くためには、1社あたりのスポンサー料がいくらくらい必要なのか。それらを知らないで、電話営業で『お願いします!』と言ったって(収益が)膨らまないのは当然でしょ。そういうのが、いっぱいありました」
役員会で「今後は月ごとに予算を作って、細かく目標を持たせて管理する」と提案したら、出席者から「そんなことをやって何の意味があるのかね」と聞かれたこともあった。こうした認識のギャップについて、左伴は内心「ガクッときた」という。