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「ヒジがぶっ飛びました」島袋洋奨が“壊れた”440球の異常な酷使…甲子園春夏連覇のエースを襲った“さらなる悪夢”「もうダメだ…完全に終わった」 

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/01/10 11:04

「ヒジがぶっ飛びました」島袋洋奨が“壊れた”440球の異常な酷使…甲子園春夏連覇のエースを襲った“さらなる悪夢”「もうダメだ…完全に終わった」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

中央大学時代の島袋洋奨。世代の頂点に立った高校時代とは打って変わって、大学では多くの苦難を味わった

 この2試合で計8個の盗塁を許し、フォームを調整したことがほころびの始まりだったと本人は述懐する。だが、その後は“ゴールデンルーキー”の実力をしっかりと見せつけた。

「ヒジがぶっ飛びました」3試合440球の“異常な酷使”

 2戦連続で負け投手となった島袋のリーグ戦初勝利は、5戦目の亜細亜大戦。相手は対戦を熱望していた東浜だった。試合は白熱した投手戦となり、1対0で島袋に軍配が上がる。9回を投げて被安打5、12奪三振の完封。最終的に大学1年春のリーグ戦は5試合を投げて1勝3敗、投球回数36回1/3、防御率0.99の成績で新人王を受賞する。甲子園のスターはしっかりと期待に応えて、色褪せない輝きを見せた。

「2年の春までは、確かに調子は良かったんです」

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 島袋は当時の記憶を掘り起こし、そう呟いた。この大学2年の春季リ―グが、島袋の野球人生のターニングポイントと見る向きも多い。

 大学1年の秋季リーグ終了後、中央大野球部は高橋善正(元巨人)が監督を退き、秋田秀幸(元中日)が新監督に就任した。

 2012年、秋田監督の初陣となる春のリーグ戦で島袋は2年連続開幕投手に選ばれ、強烈なインパクトを残す。東洋大を相手に延長15回をひとりで投げ抜き、チームを3対2のサヨナラ勝ちに導いた。だが、要した球数は226球、奪三振数は21。言うまでもなく、ひとりの投手が1試合で投げる球数ではない。

「センバツ決勝の日大三高戦で198球を投げたことはありますけど、200球超えは初めてでしたね。あくまでも自分の意思で投げました。次の試合も、その次の日大戦も重要でしたし、調子が良かったので投げました。でも、ここで肘がぶっ飛びました」

 中1日で先発し、7回92球1失点で勝利。さらに中6日で日大戦にも先発し、8回122球、4失点で3連勝。だが、ここで島袋の肘は悲鳴をあげた。

 左肘内側側副靭帯に血腫ができており、すぐにドクターストップがかかった。全治約5カ月。その間はノースロー調整を強いられ、ブルペンに入ったのは怪我から4カ月後の8月下旬である。

 島袋は開幕から10日間の3試合で30イニング、計440球を投げたことになる。これは現代野球ではありえない数字だ。当然ながら、「秋田監督の酷使によって島袋は壊れた」と考える野球ファンは多い。

【次ページ】 監督の証言「でも、目が死んでいなかったので…」

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