甲子園の風BACK NUMBER
「ヒジがぶっ飛びました」島袋洋奨が“壊れた”440球の異常な酷使…甲子園春夏連覇のエースを襲った“さらなる悪夢”「もうダメだ…完全に終わった」
text by
松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph bySankei Shimbun
posted2025/01/10 11:04
中央大学時代の島袋洋奨。世代の頂点に立った高校時代とは打って変わって、大学では多くの苦難を味わった
監督の証言「でも、目が死んでいなかったので…」
以前、秋田監督にこの起用法について訊いたことがあった。
「監督になって初めての試合ですから、よく覚えています。4月1日で寒い日でした。途中、ピッチャーライナーが島袋の脚に当たったのでマウンドに向かったんです。交代させようと思ったんですが、島袋は『大丈夫です』と言う。実際、いいピッチャーがいたら代えてますよ。でも、目が死んでいなかったのでそのまま続投させました。4年の鍵谷(陽平、元巨人)もいましたけど、やっぱり大黒柱は島袋なんです。監督をやって最初の試合が延長15回の試合でしょ。野球で勝つのってこんなに苦しいことなのか、とあらためて思いました。その後の登板も『絶対に行け』とは言わなかったし、『どうだ? 大丈夫か?』と聞きましたが……」
プロならばいざ知らず、高校野球や大学野球で「大丈夫か?」と監督に聞かれて「無理です」と答える選手はほとんどいないだろう。だからこそ、決定権を持つ指導者には、選手のコンディションを管理し、適切な判断を下す責務がある。どんな理由があったとしても、やはりこの起用法を肯定するのは難しい。
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この2年春のリーグ戦での投げすぎで島袋が故障したのは確かである。しかし実際には、大学3年の秋に“さらなる異変”が起こっていた。
大暴投を繰り返し…大学3年秋の“致命的な異変”
肘の怪我から回復した大学3年の春は、2完封を含む2勝3敗、防御率1.94。打線が弱かったチーム事情を考えると十分な成績だ。
秋のリーグ戦は、開幕3試合で1勝2敗、防御率1.00。これも悪くない成績だろう。そして迎えた青学大との一戦。先発の島袋はマウンドで丹念に投球練習をする。プレイボールがかかった初球だった。
「ガシャン!」
バックネットにボールが突き刺さる音が神宮球場に鳴り響いた。
球場にいた誰もが、単にボールがすっぽ抜けただけ、と思ったはずだ。しかし、次の球もバックネットへの暴投。球場内が次第にざわつき始めた。
コントロールに定評がある島袋が初回から乱れ、そればかりかバックネットやバッターの背中方面への大暴投を繰り返す。審判の「ボール」という乾いた声だけが響く。4失点で初回KO。島袋の野球人生において、初めてのことだった。