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「シカだけに仕方ない」125ccタイトル目前に時速170キロで鹿と激突、「5人目の日本人王者」の称号を逃した東雅雄のその後の人生
text by
遠藤智Satoshi Endo
photograph bySatoshi Endo
posted2024/12/24 11:05
2002年のブラジルGPで勝利して喜ぶ当時31歳の東。これがキャリアにおける最後の勝利となった
「00年の最終戦オーストラリアGPで僕が497勝目を挙げたときに、来年の鈴鹿で500勝達成できるかもって話になった。00年のホンダは250ccも500ccも厳しかったけれど、01年は勝てそうだったし……。そんなこともあって、01年の開幕戦はすごいプレッシャーだった。ギリギリなんとか勝てたけれど、その後、大ちゃんとロッシも勝って、すごくドラマチックでしたね」
このころから、125ccクラスではアプリリア、ジレラのヨーロッパ勢が台頭。東は02年に総合8位、03年に総合16位と苦戦を続け、ついに32歳で引退を決めた。チャンピオンにこそなれなかったが、通算10勝、表彰台獲得20回という素晴らしい成績を残した。
会社員になるという決断
高知県出身。地元の高校を卒業してマツダのディーラーに2年間勤めたが、20歳のときに会社をやめてレースキャリアをスタートさせる。そして全日本ロード125ccクラス参戦3年目の96年にチャンピオンを獲得し、翌97年、26歳で世界デビューを果たし、7年間世界を転戦した。
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「他のライダーたちとはちょっとキャリアが違うし、レースを始めてから引退するまで12年と短かかったけれど、充実していたと思います。悔いがないかと言われれば、もちろん言い始めるとキリがないほどありますけどね(笑)。レースを引退して会社員になるという決断も悪くなかったと思ってます」
現在53歳になった東は、ブリヂストンの社員として国内の2輪モータースポーツを中心にタイヤの開発に従事している。入社は引退の翌年で、元GPライダーというキャリアがあっただけに当時は話題となった。だが、それから20年が過ぎたいま、東がタイトルに手をかけたライダーだったこと、そして衝撃的な事故のことを知る若手社員はほとんどいないという。
久々に話を聞いて、そんなものかと驚く僕に、「これが世界チャンピオンになっていれば、また違っていたのかもしれないですけどね」と東は笑った。