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「あぁ、ついに来たか」戦力外通告の非情な電話…“27歳で引退”大田阿斗里はなぜプロ野球選手から警察官に? 運命を変えた“最後のトライアウト” 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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posted2024/12/21 11:04

「あぁ、ついに来たか」戦力外通告の非情な電話…“27歳で引退”大田阿斗里はなぜプロ野球選手から警察官に? 運命を変えた“最後のトライアウト”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

現役時代の大田阿斗里(2014年、当時24歳)。DeNAとオリックスで通算69試合に登板した

 この年は自己最多となる38試合に登板。2勝4敗5ホールドと、一軍投手の中で少しずつ存在感を示すこととなった。しかし、翌年以降は右肩の故障に苦しめられる日々が訪れる。大田に転機が訪れようとしていた。

「あぁ、ついに来たか」戦力外を告げる電話

 14年、プロ7年目を迎えたこの頃から、大田の右肩が悲鳴を上げ始めた。「それまで経験したことのない痛み」を覚え、負荷をかけたトレーニングができなくなった。コンディションが万全でないことで、メンタル面での焦りも生まれた。心と身体のバランスが少しずつ崩れていく。不安だけが募っていく日々。14年はわずか3試合に登板、翌15年はついに一度も一軍での登板機会を与えられなかった。

「もう9月の中旬には自分でもわかっていました。二軍の試合でも遠征に帯同することもなくなっていたし、試合に向けての調整もしていませんでしたから。だから、球団から電話がかかってきたときにも、“あぁ、ついに来たか……”という感じでした。でも、まだまだやり切ったという思いはなかったし、うまく休養を取れば投げられることもありました。それに、まだ26歳だったので、“年齢的にもまだやれる”という思いもありました」

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 こうして大田は迷いなくトライアウトを受けることを決めた。彼にとって幸いだったのは、ちょうどこのとき、世界の12チームが参加する「プレミア12」が日本で開催されるため、メジャーリーグ関係者が日本に集結していたことだった。

「ちょうどメジャーのスカウトの方が来日していた関係で、(ボストン・)レッドソックスと(サンディエゴ・)パドレスのトライアウトを受けることができました。その結果、レッドソックスはダメだったけど、パドレスとはマイナー契約を結ぶことになりました。でも……」

【次ページ】 “最後の甲子園”で手にした一冊のパンフレット

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