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「あぁ、ついに来たか」戦力外通告の非情な電話…“27歳で引退”大田阿斗里はなぜプロ野球選手から警察官に? 運命を変えた“最後のトライアウト” 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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posted2024/12/21 11:04

「あぁ、ついに来たか」戦力外通告の非情な電話…“27歳で引退”大田阿斗里はなぜプロ野球選手から警察官に? 運命を変えた“最後のトライアウト”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

現役時代の大田阿斗里(2014年、当時24歳)。DeNAとオリックスで通算69試合に登板した

 まだ契約が成立していなかったにもかかわらず、スポーツ紙で憶測記事が流れたことにより、パドレスサイドが態度を硬化させてしまい、この話は流れてしまった。そこで急遽、大田はオリックス・バファローズの入団テストを受けることを決めた。

「気持ちはすでにアメリカに飛んでいたけど、パドレス入りの話が流れたことで、ほっともっとフィールド神戸で一人だけで、オリックスの入団テストを受けました。その後、キャンプで実戦形式のテストも受けて育成枠での入団が決まったんです。オリックスの1年はそれまでよりも、いっそう自分の野球人生を懸けて臨みました。6月に支配下登録されたけれど、何も成績を残すことができず、結果的に再び戦力外通告を受けました……」

“最後の甲子園”で手にした一冊のパンフレット

 バファローズでも結果を残すことはできなかった。当然、二度目の戦力外通告も覚悟していた。前回とは違う感慨があった。

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「ベイスターズのときは《やり切った感》はまったくありませんでした。でも、オリックスでの1年間は、まったく結果は出なかったけど、覚悟を決めて臨んでいたので、《やり切った感》があり、すんなりと事実を受け入れることができました。だから、もうトライアウトを受けるつもりもありませんでした」

 しかし、大田はトライアウトを受ける。その理由は「会場が甲子園球場だったから」だ。

「高校のときに甲子園に出場し、プロ初先発も甲子園でした。甲子園球場に対する思い入れは特別ですから、“最後はここで終わりたい”、そんな思いで甲子園に行きました。終わった後は、本当に清々しい気持ちになりましたね」

 家族もいる。これ以上、野球を続けるつもりはまったくなかった。27歳にして、第二の人生がスタートする。しかし、具体的なプランは何もなかった。「さて、どうするか?」と思案に暮れていたとき、道を拓くきっかけとなったのは、甲子園球場でのトライアウトで手にした「一冊のパンフレット」だった――。

<続く>

『道を拓く 元プロ野球選手の転職』(長谷川晶一著/扶桑社)『道を拓く 元プロ野球選手の転職』(長谷川晶一著/扶桑社)
#2に続く
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