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「失礼な話だよ」落合博満42歳が巨人フロントにキレた「落合はおしゃべりが過ぎた」ナベツネは猛反撃…落合が拒否した巨人“残留オファー案”
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/10/30 11:02
1996年11月14日、「失礼な話だ」巨人の対応について怒った落合博満(当時42歳)。世田谷区の自宅前で
「(落合は)おしゃべりが過ぎたな。おれは(実母の)通夜の最中に(落合の自宅に)『連絡をくれ』と(留守番電話に)連絡先まで伝えたんだ。それが今日に至るまで連絡もない。これは礼儀正しい態度じゃないだろう。清原を利用するような発言はいかん。若い青年をダシにしちゃいかん。フロントのクビが飛ぶとか余計なお世話。おれが決めること。あれだけしゃべって本人がどう始末をつけるか。取り消してもらわないとな」(日刊スポーツ1996年11月26日付)
「長嶋さんは知っていたんですか?」
来季の契約については、「打撃コーチ兼任を本人がイヤと言ったら仕方ない」と突き放し、この“ナベツネ爆弾”を11月26日朝、各紙が一面で「落合発言『許さん』渡辺社長激怒」(スポーツ報知)、「渡辺社長キレた!!『勝手にしろ』落合出てって結構」(日刊スポーツ)と派手に報じた。
これまでOBたちの批判にさらされるオレ流をことあるごとに擁護してきた渡邉も、組織のトップとして、ひとりの選手にフロント幹部を無能と言われたからには黙っているわけにはいかなかったのだろう。落合にも渡邉にもそれぞれ守るべきメンツがあった。結局、落合問題の最終判断は長嶋監督に委ねられる形となり、11月26日と27日に都内のホテルで、極秘の直接会談が行われる。
27日には長嶋邸から囮のベンツを走らせ、マスコミ各社約20台のハイヤーをそちらに誘導させる徹底ぶりだった。
「会談の中身については詳しくは言えないけど、まず、俺の方から今回の経緯や俺が知っているフロントの動きについて話した。で、こういうことを知っていたんですかって聞いた。俺が知りたかったのはそこだからね。そうしたら、長嶋監督は知らなかった。『長嶋監督もフロントとグルだった』と言う人もいるけど、あの時の長嶋さんの反応からすると、それは違うと思ったよ、俺は」(不敗人生43歳からの挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
だが、長嶋監督から「残ってくれ」という言葉はなく、遠回しだが言いにくそうに「来年は控え」ということを伝えてきたという。落合は自ら身を引くことを決め、他球団が獲得しやすい自由契約にしてほしいと頼み、長嶋監督もそれを了承する。最後はホテルの部屋で男ふたり、寿司をつまんで別れた。
<後編に続く>