- #1
- #2
“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「内田篤人のようだ」J1鹿島がホレた“超攻撃型SB”濃野公人22歳の原点「ケガ離脱も…“DFなのに9ゴール”は森保監督も無視できない?」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byAFLO
posted2024/10/18 11:30
J1鹿島で右サイドバックに定着したルーキー濃野公人(22歳)。先日、負傷離脱がリリースされたが、強烈なインパクトを残している
「小学校時代から身長が小さいほうだったので、ポジショニングをすごく重視してきました。福岡のバルサアカデミー(FCバルセロナが全世界で展開する公式サッカースクール)にも通っていて、そこで教えてもらった“相手に捕まらないポジション”を取り続けて、どうやって勝負を仕掛けるか、ずっと考えていましたね」
身体の小ささを頭で補っていた濃野少年が大きく飛躍したのは、2学年上の兄を追って進学した大津高での時間だった。高校3年間で身長が10cm以上伸びたことでフィジカルと高さを生かしたプレーも習得。FW、トップ下、左サイドハーフと攻撃的なポジションをこなし、高3時は背番号10を背負った。
裏への抜け出しやポストプレーの質は当時から高く、中盤でプレーしてもカットインから精度の高いシュートやクロスボールを放ち、オフザボールの立ち振る舞いを見れば「全体が見えている頭の良い選手」であることはすぐにわかった。
鹿島スカウト「内田篤人を彷彿とさせる」
関西学院大に進学すると、大学2年の途中で右サイドハーフが主戦場に。3年生の頭から右サイドバックに定着した。
「(サイドバックに転向して)一気に視野が広がったというか、全体を見渡せるようになった。どこにスペースがあって、どう前の選手と関わればいいかを考えられるようになったし、より前のスペースが出来て、自分のスピードやハードワークが生きるようになった」
“天職”を見つけた濃野のサッカーセンスはさらに開花した。「内田篤人を彷彿とさせる」と鹿島の椎本邦一スカウトに目をつけられ、プロ入り。1年目から不動の右サイドバックとしてフル稼働していた。