核心にシュートを!BACK NUMBER
「勉強していると『バスケをなめてるのか?』と…」40歳になった“公認会計士合格のBリーガー” が語る、かつての日本バスケ界「本当にあった惨状」
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by(L)Nanae Suzuki、(R)AFLO
posted2024/10/06 11:00
公認会計士の資格を持ち、選手会の設立にも尽力するなどコート外でも影響力を見せた岡田優介。今季から新天地で戦う彼が見た「かつてのバスケ界」とは?
大学卒業とともに、トヨタ自動車アルバルク(※現アルバルク東京)に入団した。
ただ、当時のバスケ界は、まだいまほど開かれていない時代だ。岡田と同じシューターの役割を果たせる優秀な選手がトヨタには多かったため、入団当時はこんなことを言われたという。
「君は少なくとも3年間はベンチ暮らしだな」
特に公認会計士の資格取得に向けた勉強をしていることが知れわたってからは、バスケ界の“重鎮”たちからは「バスケをなめているのか?」と厳しい言葉を浴びせられることもあった。
岡田はこう振り返る。
「まぁそう言われても『頑張ります』と返すだけで。『やるのは自分だから、結果で見せますわ』と思っていました」
「こんなバスケ界を変えたい」という思い
ただ、そんなことを平気で言う人がいるようなバスケ界の状況は、岡田にとって逆説的に競技と会計士の勉強を両立する上でのモチベーションのひとつにはなった。
「『こんなバスケ界を変えたい』とは思いましたよ。バスケは本当に面白い競技なのに、日本では人気がなかった。でも、自分はまだ若く、実力もなかった。物事を動かすためには、口先だけではなくて信頼される“何か”がないと無理だと考えていました。選手としての活動を続けながら難関の資格を取ることができれば、同時に社会的な信頼性も得られると考えました」
今となっては信じられないことだが、渡邊雄太の海外への進学に対しても心無い言葉を浴びせた関係者がいた話も有名だ。高校生にとって最大の大会であるウインターカップで準優勝した渡邊が、日本の大学ではなく、アメリカの大学へ進学しようとしたときだった。夢を追いかける若者にかける言葉としては信じられないような反対意見が、当時の協会メンバーから寄せられた。
「僕は当時から彼のことをすごく応援していましたけど、みんなはそういう感じでした。スポーツ団体が良くない方向に進んでいく典型例という感じで……閉鎖的で、革新的なことを好まない状況がありました」