NumberPREMIER ExBACK NUMBER
「大将、筆あるか」闘将・星野仙一が楽天“初の日本一”翌日に足を運んだ「鮨 仙一」秘話「仙台で俺の名前を騙って寿司屋をやってるヤツが…」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byNaoya Sanuki
posted2024/09/30 17:00
2013年に宿敵・巨人を倒して初の日本一に輝き、胴上げされる楽天・星野監督
「星野さんが『第6戦、いけるか』と聞いてくれていたんです」
信じてくれていたのだ。
藤田はスタメンで出続け、頂に立った。
DeNAでは定位置を得られず、'12年6月にトレードで楽天に加入した。
そこで星野と出会い、人生が変わった。
合流初日の同26日、星野に「今日、いくぞ」と言われ、血がたぎった。東京ドームでの日本ハム戦。2回無死一塁の初打席で、いきなりエンドランのサインが出た。
「えぐいなと……初球からだったと思います。これが星野さんかと感じました。いま思えば、僕は試されていたのだと思います」
用兵で人を育て、チームの雰囲気をつくる。これが監督星野の手法だった。'13年は開幕2戦目でスタメンを外された。「開幕戦がよくなくて『勘違いするなよ』という意味だと感じました。本当にレギュラーでも安心できませんでした」と振り返った。
「一也のおかげやな」思いがけないひと言に…
藤田には痛恨の失敗がある。
'13年、首位を争うロッテとの7月27日の直接対決。1回1死一、二塁でゴロをさばいた遊撃の松井稼頭央からの送球を二塁で捕る。だが、一塁に転送しなかった。併殺にならず、直後に先制点を与えてしまった。
「僕がアウトカウントを間違ってしまっていました。ツーアウトだと思いこんでしまって……。ずっと試合で使ってもらっているという、気の緩みがあったんです」
攻守交代でベンチに戻ると、星野が目を吊り上げていた。ナインに向かって「しっかりせんか!」と怒声を張り上げた。
「僕に対するものでしたが、チーム全体に言うんです。そうやって全体を引き締めていました。味方がカバーしてくれて逆転勝ちし、チームで戦っていると思いました」
藤田は守備でミスをしても、凡打を重ねても、我慢して使われた。やがて卓越したポジショニングや的確な判断で何度も好守を見せ、二塁のレギュラーを掴んだ。
9月下旬。リーグ優勝目前の西武ドームでの試合前、食事をしていると、珍しく食堂に入って来る星野の姿を見た。藤田の隣に腰を下ろしてボソッと言われた。
「一也のおかげやな」
思いがけないひと言に胸が詰まった。
うどんが、なかなか喉を通らなかった。
星野監督は特別な存在「ご縁があると思いました」
長谷部康平にとっても'13年は生涯忘れることができないシーズンになった。
ずっと暗いトンネルの中にいた。即戦力左腕として'08年に、大学生・社会人ドラフト1巡目で楽天に入団したが、1年目の春に左膝の半月板を負傷。実力を発揮できず、2度の手術を経て、'13年を迎えていた。
長谷部にとって星野は特別な存在だった。愛知工業大4年だった'07年12月、北京五輪アジア予選で、日本代表監督の星野から評価され、アマチュアから唯一、メンバーに選出されたのだ。力を認めてくれた人が楽天の監督になり「ご縁があると思いました」と振り返る。
だから、プライベートなことも相談できた。母・泰子さんが病気がちであることを伝えたのもそんな時だった。星野から事あるごとに「お母さん、最近、どうや」と尋ねられるようになった。
【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内の【楽天】「お前は今すぐ帰れ!」闘将・星野仙一の2013年“初の日本一”と知られざる日々「大将、俺に似ているなぁ」《証言:藤田一也、長谷部康平、仁村徹》で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。