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「高校生がおるじゃないか」星野仙一が風呂場で下した大決断…高卒ルーキーの“初登板ノーヒットノーラン”が生まれるまで
posted2022/02/16 11:01
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph by
AFLO
唯一無二の伝説をもつサウスポーが、大学野球の指導者に転身した。中日のスカウトだった近藤真市さんが昨年末で退職し、2月3日付で岐阜聖徳学園大(以下岐聖大)の監督に就任。会見に臨んだ。
近藤さんは1968年生まれ。享栄高校時代に甲子園の土を踏み、87年に地元・中日ドラゴンズにドラフト1位で入団した。その3年後に野茂英雄、5年後に金本知憲、6年後に小池秀郎がプロ入りするなど、多士済々の「1968世代」だが、18歳時点では近藤さんの評価が抜きんでていた。ヤクルト、日本ハム、広島、阪神も1位指名。翌年のドラフトでも現監督の立浪和義を引き当てる星野仙一監督だが、のちの名球会打者でも2球団競合。「交渉権確定」の文字を見た闘将が「近藤、約束通りにやったぞ!」と絶叫した気持ちもよくわかる。
高卒デビュー戦ノーノーのウラに“風呂場の決断”
しかし通算12勝17敗。左肩の故障に苦しみ、26歳で引退した。それでも5球団競合の評価が間違っていなかったことは、オールドファンならご存じだろう。87年8月9日の巨人戦(ナゴヤ球場)。近藤さんは先発した。前夜の試合が熱戦となり、翌日の先発候補までつぎ込んでしまった。球場で入浴中の星野監督のもとを投手コーチが訪れ、相談した。「監督、明日のピッチャーがいません。どうしましょうか」。二軍にもめぼしい候補者がいなかったのだが、燃える男は即決した。「高校生がおるじゃないか」。この決断が、球史に残るドラマを生み出した。
18歳11カ月。高卒ルーキーがデビュー戦でノーヒットノーランを成し遂げたのだ。今の野球界なら新人が完投することすら難しい。そもそも心臓バクバクの初登板。マグレでできる快挙ではない。