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「大将、筆あるか」闘将・星野仙一が楽天“初の日本一”翌日に足を運んだ「鮨 仙一」秘話「仙台で俺の名前を騙って寿司屋をやってるヤツが…」
posted2024/09/30 17:00
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Naoya Sanuki
発売中のNumber1104号に掲載の[楽天日本一の真実]星野仙一「杜の都で放った最後の光」より内容を一部抜粋してお届けします。
日本一の翌日、星野監督は「鮨 仙一」へ
日本一になった監督は忙しい。
2013年11月3日。楽天を頂点に導いた星野仙一監督は深夜までテレビに出演し、寝たのは午前4時だった。それでも翌朝は8時に目が覚め、昼はカフェでランチをとりながら、番記者の取材に応じた。
冷たい雨のなか、仙台の空を舞った余韻は簡単には消えない。ひと息ついた夜、星野には足を運びたいところがあった。
「目ぇ、書きに来たわ」
暖簾をくぐり、ぬっと顔を出す。
そして「鮨 仙一」の、いつもの席に腰を下ろした。親方の山田定雄はカウンター越しの星野がいつになくくつろいだ、11年前の夜を昨日のことのように思い出す。
「珍しくひとりで来られたから、よく憶えています。よほど嬉しかったのだなあと」
星野が初めて店に来たのは楽天の監督に就任した直後だったが、中日の監督の頃から店のことを知っていた。「仙台で俺の名前を騙って、寿司屋をやってるヤツがいる」と嬉しそうに言っていたという。屋号の由来を伝え聞いていたのだ。「仙一」に、ふたつの思いを込めた山田は振り返る。
「仙台で一番の寿司屋にという思いと巨人のV10を止めた中日の星野さんの喧嘩投法が好きでね。自分の気性に合ったんです」
あの日、握りを食べ終えると、星野はおもむろに立ち上がった。
「大将、筆あるか」
カウンターに鎮座する真っ赤な高崎だるまに向き合い、黒い目を入れはじめた。それは星野が親方や店員、居合わせた客と日本一を祝う、ささやかなセレモニーだった。
負傷交代の宣告も「第6戦、いけるか」
'13年、巨人との日本シリーズは4戦を終えて2勝2敗と白熱し、東京ドームで行われた第5戦は延長10回に入っていた。
2点を勝ち越したが、ベンチでは藤田一也が涙を流していた。その直前、1死二塁の勝ち越し機で左ふくらはぎに死球を食らった。銀次の勝ち越しタイムリーで三塁に達すると倒れ込んで動けなくなったのだ。
すると、ベンチから星野がゆっくりと歩いて来るのが目に入った。
「もうええ、下がれっ!」
藤田は初戦から安打を連ね、奮闘してきた。勝てば両チームともに日本一に王手をかける重要な戦いだ。それだけに、試合途中に退いた悔しさが募る。
「これでもう出られへんわ。日本シリーズ、終わった、と思ったんです。星野さんは普段、選手交代の時くらいしかベンチから出てきません。痛がる選手をベンチで見て『代えろ』と命じていました。だから、『痛い』と言ってはいけないんです」
楽天は逃げ切り、第5戦を制した。
ふくらはぎが腫れあがった藤田は歩くこともできず、車いすに乗って引き揚げた。
翌日は仙台への移動日で試合がない。
治療して回復を図ったが、スタメン出場はないと思っていた。
そんな時、トレーナーから伝え聞いた。