熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「38歳の今季15ゴール」“J最凶の問題児FW”は今もムキムキ「日本に行けば何とかなると…少し甘かった(笑)」フッキにブラジルで本音直撃
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama/JMPA
posted2024/09/23 11:02
2014年ブラジルW杯でのフッキ。Jリーグとセレソン、ヨーロッパで大暴れした“問題児FW”は今、どうなっている?
「選手寮に住み、ホームシックと戦いながら、練習に励む日々を送った。この頃、忘れがたい出来事があった。ある日、クラブ関係者にポルトのホームスタジアムへ連れて行ってもらって試合を見たんだ。夜の試合で、巨大なスタジアムが超満員の観衆で埋まり、照明に照らされた美しい芝生の上で、選手たちが激しくプレーして拍手や野次を浴びている。この光景を見て、『いつか僕もここでプレーする』と心に誓った。
でも、このクラブではプロ契約をしてもらえそうになかったから、ブラジルへ帰国して名門サンパウロの練習に参加した後、ヴィトーリア(北東部の中堅クラブ)のU-17に加わった。そして2003年、16歳で念願のプロ契約を結んだ」
フロンターレのオファーで日本に…少し甘かった(笑)
――ただし、出場機会は少なかったようですね。
「在籍した1年間、2試合に途中出場して無得点。でも、2004年末、クラブの別の選手を視察に来ていた川崎フロンターレの関係者が僕を気に入り、2005年初めから6カ月間の期限付き移籍をオファーしてくれた。C契約で給料は低かったけれど、飛躍のチャンスだと思って日本行きを決めた」
――当時、日本と日本のフットボールについての知識は?
「ほとんど何も知らなかった。代理人と川崎の関係者から、多少、説明を聞いたくらい。でも、まだ18歳の子供だったから、行けば何とかなると考えていた。ちょっと甘かった(笑)」
ブラジル北東部の貧しい家庭で生まれ、プロ選手になることを夢見た少年が、紆余曲折を経て、16歳にして念願のプロ契約を結んだ。しかし、まだほとんど実績がない状況で、単身、18歳で地球の反対側へ渡った。日本では、良くも悪くも想像を絶する出来事が彼を待ち受けていた。〈つづく〉