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「38歳の今季15ゴール」“J最凶の問題児FW”は今もムキムキ「日本に行けば何とかなると…少し甘かった(笑)」フッキにブラジルで本音直撃 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byTakuya Sugiyama/JMPA

posted2024/09/23 11:02

「38歳の今季15ゴール」“J最凶の問題児FW”は今もムキムキ「日本に行けば何とかなると…少し甘かった(笑)」フッキにブラジルで本音直撃<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama/JMPA

2014年ブラジルW杯でのフッキ。Jリーグとセレソン、ヨーロッパで大暴れした“問題児FW”は今、どうなっている?

――フットボールネームの「フッキ」は、子供時代、アメリカン・コミックの「超人ハルク」の大ファンだったことから来ているそうですね(注:英語のHulkをポルトガル語ではこう発音する)。

「主人公が怒ると全身緑色の筋骨逞しい巨人に変身するシーンが大好きで、いつも彼が筋肉を誇示するポーズを真似て喜んでいた。それで、友人からこう呼ばれるようになった。今では、稀にジヴァニウドと呼ばれても反応できないことがある(笑)」

お肉の運搬を手伝ったら格好の筋トレに

――両親が路上市場(注:週に2、3度、ブラジルの都市部の路上で開かれ、仮設店舗で野菜、果物、肉、魚などが販売される)の精肉店で働いており、子供時代、両親の仕事を手伝わされたと聞きました。

「7人きょうだいの上から4番目なんだけど、男は僕一人だったから、有無を言わさず仕事を手伝わされた。市は早朝に始まるから、明け方に起きて、トラックで運ばれてきた肉を両親の店まで運ばなければならない。

 この肉の塊が、子供にはとても重いんだ。眠いしつらいから嫌だったけれど、両親から『手伝わないとフットボールの練習へ行かせない』と言われ、渋々手伝った。結果的に、それが格好の筋トレとなり、子供には似つかわしくない筋肉がついた」

――ボールを蹴り始めたのはいつ頃から?

「5、6歳かな。父親がアマチュア選手だったので、ボールの蹴り方、止め方などの基本技術を教えてもらった。すぐにフットボールが大好きになった。両親は働き者だったけど、子供が多いし、決して裕福な家庭ではなかった。だから、自分がプロ選手になってお金を稼いで、家族を楽にしたいと思った。僕と同じようにプロ選手を目指している友人がいたので、毎日、彼と一緒に練習をした。残念ながら、彼はプロ選手になれなかったんだけどね」

――当時の憧れの選手は?

「ロマーリオとロナウド。試合でゴールを決めると天にも舞い上がるような快感を覚えるから、強力なストライカーになりたいと思った」

拍手やヤジを浴びる光景に「ココでプレーする」

――プロ選手になるまで、かなりの苦労があったようですね。

「13歳で地元の小クラブのアカデミーへ入り、それと並行して他のクラブでもテストを受けた。15歳のとき、代理人の紹介でポルト郊外のポルトガル3部の小クラブのアカデミーに加わった」

――ポルトガルのクラブであれば言葉の障壁はないとはいえ、まだ15歳の少年が外国のクラブのアカデミーで練習をするのは大変だったでしょうね?

【次ページ】 フロンターレのオファーで日本に…少し甘かった(笑)

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