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「誰だこれは?」世界最高の馬術大会で衝撃デビューも、五輪では…大岩義明が「10年くらいでメダルを」と考えてから23年間戦い続けたわけ 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2024/09/01 11:04

「誰だこれは?」世界最高の馬術大会で衝撃デビューも、五輪では…大岩義明が「10年くらいでメダルを」と考えてから23年間戦い続けたわけ<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

日本馬術としては「バロン西」こと西竹一以来92年ぶり、団体では初の五輪メダルを獲得した「初老ジャパン」の大岩義明

「あれさえなければ、あそこさえ抜けていたら......あの時メダルが獲れただろうという思いがあるし、だからこそ本当に悔しかったです。競技を続ける原動力は何ですか? とよく聞かれるんですけどね。ロンドンで落馬した悔しさは間違いなくあるし、自分がメダルを獲れると信じていたからこそ続けるモチベーションになっていました。全然届かないと思っていたら、ここまで続けてはいないです」

不完全燃焼だった東京五輪

 自国開催に心弾ませ出場した、21年の東京五輪でも悔しい思いを味わった。17年のバドミントン・ホーストライアルズでは日本人過去最高の8位となり、実績と自信を積み重ねて挑んだ夢舞台。やはりクロスカントリーの終盤に落馬した。実は競技前、パートナーの愛馬「キャレ」との準備運動中にハプニングがあったのだという。

「もともとキャレはすごく注意深い馬でした。ところが準備運動で障害物を飛ぶ時に、脚を引っかけてひっくり返ってしまった。上に高く飛び過ぎて奥行きが届かなくなり、障害の上に前脚をついて落っこちたんです。そのひっくり返り方というのは、馬がすごく怖がる失敗なんです。僕を信じてずっとやってきてくれたのに、1回ひっくり返ってしまったことで恐怖心が出てしまった。競技本番を前にもう、終わっていたんです」

 キャレは東京五輪以降、大きな障害を前にすると怖がって止まってしまうようになり、大会にも出られなくなってしまった。馬はそれくらい繊細な生き物なのだ。人馬ともに辛い思いを味わった大舞台を経て、オリンピックに賭ける大岩の思いは微妙に変化していた。

「東京五輪は不完全燃焼で何一つできた感覚がなかったんです。パリに出られるなら、とにかく完全燃焼したいと強く思ってきました。 準備してきたことを全部発揮したい。そのうえで何位だろうがそれはもう後回しで、とにかくやりきったと納得できる終わり方をしたいと強く思っていました」

 喜びも挫折も全ての経験を糧に乗り込んだパリ五輪。共にメダル獲得を果たした「MGHグラフトンストリート」は、奇しくも初代相棒の「ロッキー」と同じ16歳だった。人間で言えば48~50歳に相当するという“初老タッグ”の挑戦が、奇跡を呼び起こす。

<続く>

#3に続く
「乗っていないと言うこと聞かない」愛馬と“初老”タッグで奇跡のメダル…“初老ジャパン”大岩義明48歳は苦境でも「ロスにも挑みたい」

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