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「誰だこれは?」世界最高の馬術大会で衝撃デビューも、五輪では…大岩義明が「10年くらいでメダルを」と考えてから23年間戦い続けたわけ

posted2024/09/01 11:04

 
「誰だこれは?」世界最高の馬術大会で衝撃デビューも、五輪では…大岩義明が「10年くらいでメダルを」と考えてから23年間戦い続けたわけ<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

日本馬術としては「バロン西」こと西竹一以来92年ぶり、団体では初の五輪メダルを獲得した「初老ジャパン」の大岩義明

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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Takuya Sugiyama

 パリ五輪で総合馬術団体の銅メダルを獲得した日本代表チーム「初老ジャパン」の大岩義明選手。チーム最年長の48歳が歩んできた道のりとヨーロッパ生活のリアルとは。NumberWebのインタビューに波乱万丈の半生を明かした。〈全3回の#2/#3を読む〉

  馬術は「お金がかかる」競技である。何しろ馬がいなければ大会に出ることすらできない。生き物であるのだから当然、世話をするための場所と費用が必要だ。国際大会に出場するためのエントリーフィーは1頭あたり14万~15万円ほどだというが、多くが郊外で行われる会場を往復するには燃油費用もばかにならない。

 ヨーロッパの競技会を転戦する選手の多くは、馬を輸送できる大きなトラックを自ら運転する。近くにホテルがない場所も多いので、リビングやベッドがついた大きなトラックに住み込み、馬と一緒に移動しながら競技をする。選手と馬は運命共同体。生活まで共にするまさに相棒だ。

 自身の馬もない状況で単身渡英し、アルバイトをしながら競技を続けていた大岩が初めて相棒と出会ったのは27歳だった2003年のこと。日本中央競馬会(JRA)の申し出で、運良くフランス生まれの愛称「ロッキー」を譲り受けた。競技馬としては高齢の16歳。ベテランの相棒を得て、競技会に出場する道が大きく拓けた。

総合馬術への転身

「ロッキーが来ると決まってから、先輩の伝手をたどってシドニー五輪のオーストラリア代表だったアンドルー・ホイの連絡先を聞いて、手紙を書きました。僕を受け入れてもらえないか、と。OKの返信をもらい、馬を連れて移動して弟子入りしました。そこから総合馬術のトレーニングをしっかり始めました」

 オリンピックの馬術競技には現在3つのカテゴリーがある。馬の動きの正確さや美しさを競う「馬場馬術」、障害物をミスなく飛越する「障害馬術」、この二つにクロスカントリーを加えた3種目の総合力を競う「総合馬術」である。実は大岩はもともと「障害馬術」の選手だった。

「障害をずっとやっていたので、その方が好きだったんです。 ただ、僕はやるからにはオリンピックに出てメダルを獲ることを意識しないといけないと思っていました。メダルの可能性がある種目はなんだろう、と考えるとそれは総合馬術でした。だから僕は、自分がやりたいとか好きだとかではなく、成績を出せるための競技を選んだんです」

【次ページ】 世界最高峰の大会での活躍

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