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「僕の仕事はゴキブリ駆除でした」総合馬術銅“初老ジャパン”の最年長、大岩義明48歳の運命を変えたのは…「初老」の相棒との奇跡の出会い

posted2024/09/01 11:03

 
「僕の仕事はゴキブリ駆除でした」総合馬術銅“初老ジャパン”の最年長、大岩義明48歳の運命を変えたのは…「初老」の相棒との奇跡の出会い<Number Web> photograph by AFLO

パリ五輪、障害を飛ぶ大岩義明とグラフトンストリート

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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 パリ五輪で総合馬術団体の銅メダルを獲得した日本代表チーム「初老ジャパン」。92年ぶりとなる快挙を達成した4人の最年長、48歳の大岩義明選手には、知られざる立志伝があった。栄光に至る長い道のりの中で貫いてきた信念、人生を変えた転機とは−−。〈全3回の#1/#2を読む〉

 すっと伸びた背筋と端然とした立ち姿を「初老」と呼ぶのは気が引ける。平均年齢41.5歳のメンバーの中で最年長にして、五輪5大会連続出場の大ベテラン。自分たちでつけた「初老ジャパン」というキャッチーなネーミングで日本中の注目を集めた“長老”は、フィーバーをなんとも愉快に受け止めている。

「街で『あれ“初老”じゃね?』みたいな声が聞こえてきたりね。僕の名前は分からないけれど、初老ジャパンは知っているっていう人もすごく多かった。でもこんなことでも我々にしてみたら凄く嬉しいことですし、これを機会に馬術の魅力が伝わればいいなと思っています」

伯父さんが五輪メダリスト

 初めて実施されたのは実に120年以上前の1900年パリ五輪。長い歴史を誇る馬術は、出場選手に男女の区別がない唯一の競技でもある。ヨーロッパには深く根付いているが、日本では「馬と接する」ことのハードルの高さから馴染みの薄い存在だ。

 愛知県名古屋市出身の大岩の「原点」は幼少期の夏休み、遊びにいった長野県蓼科高原でポニーの馬車に乗ったこと。なんとも楽しそうに馬と触れ合う姿を見た両親が、乗馬ができる少年団を探してくれたのだという。

「身近に馬術をやっていた人がいたわけでもなく、馬に縁のある家庭ではありませんでした。元々僕は水泳をやっていたんですけど、地元の乗馬クラブに通うようになって、そこからは自然にスポーツとして熱中するようになりました。僕の伯父がオリンピックでメダルを獲ったことがあったので、その存在が常に頭の中にあって……。やるなら一生懸命やってオリンピック選手になりたいという夢を自然と持っていました」

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