オリンピックPRESSBACK NUMBER

「誰だこれは?」世界最高の馬術大会で衝撃デビューも、五輪では…大岩義明が「10年くらいでメダルを」と考えてから23年間戦い続けたわけ 

text by

佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

PROFILE

photograph byTakuya Sugiyama

posted2024/09/01 11:04

「誰だこれは?」世界最高の馬術大会で衝撃デビューも、五輪では…大岩義明が「10年くらいでメダルを」と考えてから23年間戦い続けたわけ<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

日本馬術としては「バロン西」こと西竹一以来92年ぶり、団体では初の五輪メダルを獲得した「初老ジャパン」の大岩義明

「みんな驚いていました。誰だこれは? みたいな感じになりましたね。最終日に障害を3つくらい落としてしまって最終的には11位でしたが、それでもこの結果は誰も予想していなかったと思います」

 この時、ある思いを秘めていた。競技への道を切り拓いてくれた愛馬「ロッキー」はもう18歳になっていた。

「僕らの中でバドミントンは憧れの大会なんです。だからこの晴れ舞台にこの馬と最後に出て、それを花道に引退させてあげたいと決めていました。それがロッキーの引退試合。思い出深い大会になりました」

ドイツでも理論を学ぶ

 馬術界を騒然とさせた大岩は順調に結果を残していく。06年アジア大会(ドーハ)では総合馬術個人で金メダルを獲得し、08年に北京で五輪に初出場。09年からはドイツに移住し、ドイツ馬術の理論も学んだ。

「イギリスは競馬が強い国ですが、ドイツはサラブレッドの生産はそんなに盛んではなく、乗馬の生産が多い。馬車馬のような大きな馬の文化があるので、また違う理論があるんです。僕はドイツに行ってから、第1種目の馬場馬術でコンスタントに上位に食い込めるようになったので、この経験は非常に大きかったです」

 手探りだった競技活動も次第に支援体制が整い、サラリーマン時代に勤務していたビル管理会社の親会社にあたる日東光学(現・nittoh)所属となる。

「オリンピックのためのトレーニングを会社にサポートしてもらってできるようになって、僕は10年ぐらいでメダルを獲れるんじゃないか、という風に考えていました」

 実際には、その倍の時間をかけてパリ五輪の快挙をなしとげた。単身渡英してから23年、48歳になるまで現役を続けてきた不屈の闘志の陰には、悔やみきれない五輪での2度の挫折があった。ひとつは12年ロンドン五輪だ。初日を終えて1位に立ちながら、2日目のクロスカントリーで落馬した。

【次ページ】 不完全燃焼だった東京五輪

BACK 1 2 3 4 NEXT
大岩義明
初老ジャパン
パリ五輪
オリンピック・パラリンピック

他競技の前後の記事

ページトップ