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バレーボールPRESSBACK NUMBER
「いやいや、お前のボールだろ」忘れられない“石川祐希とのケンカ”…星城高&中央大の同級生が語る「祐希には“怒りスイッチ”がある」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byAFLO SPORT
posted2024/08/02 11:55
中央大時代の石川祐希(2015年)
第2セットの中盤。石川とセッター関田誠大がベンチで言い合いを始めた。もっとトスを持ってきてくれ、なのか、トスが合わなかったのでこういうトスが欲しい、なのか。詳細はわからなかったが、石川がイラつき、その態度に関田がキレていることだけはわかった。武智を含めたその場にいた選手たちが「いったん落ち着こう」となだめ、何とか第2セットも連取。そうして迎えた第3セット、石川と武智の間にボールが落ちた。
「え、俺のボール? お前だろ」
「いやいや、お前のボールだろ。ていうか、声出せよ」
セットカウント2対0とリードしていたとはいえ、拮抗した展開が続いている。しかも東海大は秋季リーグで負けた相手だ。「絶対に負けられない」と昂ぶる気持ちの矛先が、何でもないミスに向いた。
何を言ったか覚えていないと言うが、当時の中大を率いた松永理生監督(現・東山高校監督)によると「まぁまぁな罵り合い」だった。ただでさえヒリヒリする試合展開の中で、いつまでもピリついていたら勝敗にもかかわる。「仲良くせぇ」とまるで小学生のケンカを仲裁するかのように、松永監督がかけた声でその場が収まった。互いが「ごめん」と謝り、再び試合モードへスイッチを切り替える。ただ、そこからの石川がとにかくすごかった。
「(トスを)呼ぶし、全部決める。祐希が爆発したら、どんな相手にも絶対負けないって思いました」
唯一の例外は、その2年後、またしても全日本インカレの準決勝だった。
石川が不在時にキャプテンを務めた武智
2017年、大学4年になった石川は中大の主将に就任。チームの柱であることは誰もがわかっていた。ただ、当時の石川は日本代表にも選出され、イタリア・セリエAのラティーナでもプレーしていた。
大学3年時は12月の全日本インカレを終えて渡欧したのに対し、4年時は「(イタリアのシーズン)最初から行きたい」と石川本人が強く希望したこともあり、10月から渡欧したことで、中大で過ごした時間は数えるほど。「せめて大学最後の試合は出てほしい」と松永監督が伝えたことで、全日本インカレの直前に再び帰国した。
石川が不在の間、チームの主将を務めたのは武智だ。大会本番はどうするのか。石川と武智で話し合いの機会が設けられたが、互いに「自分がやる」と主張したため、平行線をたどる。「このままでは決まらない」と同期の選手たちも交えて話し合いをした結果、春・秋のリーグ戦と同様に全日本インカレでも武智が主将を務めることで決まった。
当時はその選択が最善だと思っていたが、今は違う。武智が回顧する。