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15歳で「生存率10%」の難病が発覚…日本ハム・山崎福也の父が振り返る「小児脳腫瘍」からの復活劇「ダルビッシュ有に力をもらった…不思議だね」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph bySankei Shimbun(L)/Haruka Sato(R)

posted2024/06/14 06:00

15歳で「生存率10%」の難病が発覚…日本ハム・山崎福也の父が振り返る「小児脳腫瘍」からの復活劇「ダルビッシュ有に力をもらった…不思議だね」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun(L)/Haruka Sato(R)

今季、日本ハムに移籍し活躍を見せている山崎福也。父の章弘さんに話を聞くと…

母「あなた関心ないの?(怒)」

 兄弟は、札幌移転前の日本ハムの本拠地である東京ドームや、自宅がある所沢に近い西武ドーム(現ベルーナドーム)にも度々試合を見に行った。小学校に入り少年野球を始めるとその熱はさらに上がったが、章弘さんは必ずしも息子たちに自分と同じ野球をやらせたいとは思っていなかったのだという。

「全然なかったです。小さい頃キャッチボールの相手くらいはしたけれど、野球のことでああしろこうしろなんて言ったことは一度もないです。時間がなかったし、子供達が野球をやっている姿も実はそんなに見たことがないんですよ」

 指南役を務めたのは、元プロ野球選手の父……ではなく、母の路子さんだった。学生時代にソフトボール部だったという経験を活かし、兄弟の練習相手を務めた。家の中でも、バドミントンの羽根を使った打撃練習などで自らトスを上げ、アドバイスをしていた。

「(夫人は)熱心で、試合のビデオを撮ってきて家に帰ったらすぐにテレビに繋いで映していました。ピッチングもバッティングも映像を見ながら『ここが悪い』なんて細かく指導しながらね。僕は全く付き合わなかった。たまに『でしょ?』って振られて『そやな』って答えるくらい(笑)。嫁さんからは『あなた関心ないの?』ってよく怒られましたよ。もちろん関心がないわけないですけど……でも今思えば、僕の方がうるさく言わなかったのはバランス的にも却って良かったのかもしれません」

代われるものなら代わってやりたい

 そんな山崎家に突然、大きな影が差したのは福也が中学3年生の2007年11月。進学する日大三高への健康診断書提出のため、念の為に全身の検査をしたことがきっかけだった。磁気共鳴画像装置(MRI)の画像で脳の一部に影が映った。さらなる精密検査の結果は「小児脳腫瘍」。重要な神経が集まる延髄周辺に4cmを超える腫瘍が見つかった。当時、章弘さんは四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスのコーチに就任したばかりだった。

【次ページ】 手術の前日に見たダルビッシュ有の完封

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