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15歳で「生存率10%」の難病が発覚…日本ハム・山崎福也の父が振り返る「小児脳腫瘍」からの復活劇「ダルビッシュ有に力をもらった…不思議だね」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph bySankei Shimbun(L)/Haruka Sato(R)

posted2024/06/14 06:00

15歳で「生存率10%」の難病が発覚…日本ハム・山崎福也の父が振り返る「小児脳腫瘍」からの復活劇「ダルビッシュ有に力をもらった…不思議だね」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun(L)/Haruka Sato(R)

今季、日本ハムに移籍し活躍を見せている山崎福也。父の章弘さんに話を聞くと…

「トレーニングなんかそれまで何の知識もありませんでした。最初はただピッて笛を吹いてるだけ(笑)。投手のボールを捕って、野手にはノックして、打ちたいとなればバッティングピッチャーをして投げてあげる。何でも屋でしたよ」

 埼玉・所沢の自宅から日本ハム二軍の練習拠点がある千葉・鎌ケ谷まで、車で約1時間半かけて通う多忙な毎日。子育ては夫人の路子さんに任せきりになっていたが、月に1、2度福也と2歳上の兄・福之(ふくゆき)さん兄弟と触れ合う時間があった。学校が休みの土日に二人を乗せ、職場の鎌ケ谷に連れて行く。兄弟は、プロ野球選手の大きな“お兄ちゃん”たちに可愛がられた。

遊び相手は「ガンちゃん」「ひちょり」

「僕がグラウンドで練習を見ている間、室内練習場や寮で『お前ら勝手に遊んどけ。怪我するなよ』って。10時から3時くらいまで放ったらかしていて、選手たちは子供に構ってくれた。おおらかな時代でした。その頃のエースだった岩本(勉)や、若手の森本(稀哲)とか。アンダーシャツやバットなどの野球道具もいっぱいもらっていましたね」

 父にとっては子供の相手と仕事を両立させる“折衷案”のような鎌ケ谷同伴だったが、兄弟にとっては宝物のような時間になった。今年1月、初めて鎌ケ谷を訪れた山崎は「全部懐かしい。稀哲さんとかとお風呂に一緒に入った記憶があります」などとコメントしていた。

「子供にとっては印象深かったんでしょうね。僕は(そのコメントを)見るまですっかり忘れていましたよ。確かに風呂にも一緒に入らせてもらいましたし、選手のサインなんて全員分ぐらいもらってたんじゃないかな。選手寮にたくさん飲み物が置いてあるでしょ。福也なんか帰りにジュースを鞄パンパンに詰め込んでいて『1、2本にしとけや!』ってよく叱っていました(笑)」

【次ページ】 母「あなた関心ないの?(怒)」

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