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バレーボールPRESSBACK NUMBER
「おかんのハンバーグが一番好き」高橋藍の母が涙ながらに明かした壮絶な子育て期「中学生になっても、新しい靴を買ってあげられなくて…」
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph byTakahisa Hirano
posted2024/04/19 11:02
イタリア密着取材で笑顔を見せる高橋藍(22歳)
初の国際大会は、東京五輪の1年延期を経た2021年5月。五輪会場となる有明アリーナで開催された中国との親善試合。藍はスタメンで出場した。
「たっちゃん(大塚達宣)と対角で出てきた時は……びっくりしました。できひんとは思わなかったですけど、いきなりスタメンとはさすがに思っていませんでしたから(笑)」
五輪のテストマッチを兼ねた親善試合とはいえ、前哨戦となるネーションズリーグを前にほぼぶっつけの代表デビュー戦。序盤は硬さも見られた。ブロックを利用した巧みなスパイクは藍の武器ではあるが、想像以上の高さを誇る中国のブロックに続けて屈する場面があった。
そこで一度、藍に代わって福澤達哉がコートへ入った。小百合さんは泣きそうだったとこのシーンを回顧する。
「交代した時に、もう藍は外されるんかなと思ったんです。でも冷静に福澤さんのプレーを外から見て、ひと呼吸置いてからまた出てきた。その時に藍をポンポン、と叩いて出た福澤さんの姿がお父さんみたいで……。家族が力になれないところで、お父さんみたいに藍を助けてくれて、ほんまにありがとうって心から思ったことを今でもはっきり覚えています。だからオリンピック本番に福澤さんと立てないことが、本当につらかったし苦しかった。今でも、ありがとうございますの思いしかないんです」
「うちの子、オリンピック選手になるんや」
東京五輪に出場するメンバーが決定したのは、有明での親善試合から1カ月半後の6月21日。イタリアで開催するネーションズリーグに出場していた藍から、すぐに連絡が来た。
「うちの子、オリンピック選手になるんや、って。周りの方からは(五輪が)1年延びてチャンスが来た、と言われましたけど、1年前でも同じ。藍ならできたって私は思っていたし、藍にはオリンピック選手として活躍する力があったと自信を持って言いたいです」
最年少で出場した東京五輪を終えた後、新たな転機を迎える。イタリア・セリエAのパドヴァからオファーを受けた。藍は日体大に在籍しながら渡欧することを決めた。
大学入学時には考えもしなかった選択だったが、母としては「行きたい」という息子を後押しするのみ。渡欧直後は、毎日のようにテレビ電話で些細なことを報告し合うのが母と息子の日常となった。