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「ほんまは同じバレーをやってほしくなかった」高橋藍の母が明かす“反抗期ナシ”の少年時代…「藍は生まれた時からライバル(兄)がいましたから」

posted2024/04/19 11:01

 
「ほんまは同じバレーをやってほしくなかった」高橋藍の母が明かす“反抗期ナシ”の少年時代…「藍は生まれた時からライバル(兄)がいましたから」<Number Web> photograph by Takahisa Hirano

世界最高峰のイタリア・セリエAで活躍する高橋藍(22歳)

text by

田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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Takahisa Hirano

 一流アスリートの親はどう“天才”を育てたのか――NumberWeb特集『アスリート親子論』では、さまざまな競技で活躍するアスリートの原点に迫った記事を配信中。本稿では、バレーボール日本代表・高橋藍(22歳)の母・小百合さんのインタビューをお届けします。涙ながらに語った、知られざる苦労とは?〈全2回の前編〉

 年子の育児は壮絶だった。しかも、2人とも男児だ。

「塁と藍、上は早生まれだから学年は2つ違いですけど、ほぼ間が空いていないんですよ。気づいたら2人授かって、どうやって育てていたのか覚えていない。とにかく大変でした」

 高橋藍の母・小百合さんは、息子2人と、藍の3歳下で妹の莉々(りり)さんを含めた三人兄妹の子育てをこう振り返る。

 藍は18歳で日本代表に選出され、19歳で東京五輪に出場した。日本体育大学在学中にイタリアに渡って3シーズンプレー。今春、大学を卒業した。兄の塁もバレーボール選手として活躍。今季サントリーサンバーズのⅤリーグで優勝に貢献し、リリーフサーバーとして光るプレーを見せた。

 今でこそ、穏やかにあの時間を振り返られる。藍がプレーするイタリアに観光を兼ねて1カ月近く滞在する余裕もできた。

 だが、小百合さんが20代の頃は、仕事をこなしながら子育てに奔走する毎日だった。大げさではなく「(当時の)記憶がない」と言うのも当然だった。

「藍には生まれた瞬間からライバルがいた」

「繊細で音に敏感だった塁はとにかく手のかかる子やったんです。夜も寝ないし、寝てもすぐ起きる。朝5時には玄関に立って『遊びに行きたい』って。え、まだ夜やし、と言いながら寝かしつけていました。藍も夜はあまり寝ませんでしたが、二番目だったせいか、(兄よりは)手がかからない子でした」

 藍は小さい頃から要領が良く、身体能力も抜群だった。公園でキャッチボールをすれば、幼稚園児が投げる距離を遥かに超えた遠投を見せ、サッカーをやらせれば華麗なドリブルで自ら運んでゴールも決める。前転や鉄棒の逆上がり、と何でも兄より先にできるのが藍だった。

 何をやらせても、それなりの選手になるのではないか。決して親バカではなく、そう考えても不思議ではないほど能力の高さは目立っていた。ただ、藍自身が何かを「やりたい」と言い出すことはなかった。

「藍は根っからの面倒くさがりなんです(笑)。新しいことを始めることもめんどくさいし、やってみて、できないところを人に見られるのが嫌。特に藍は生まれた瞬間からライバル(兄)がいましたから。相当な負けず嫌いでした」

【次ページ】 兄弟ゲンカはいつも藍がきっかけ

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