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高校日本一も筑波大でテニス引退&中退…杉村太蔵が明かす「燃え尽き症候群」の過去「大学6年間は何ひとついい思い出がない」 

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堀尾大悟

堀尾大悟Daigo Horio

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photograph byYuki Suenaga

posted2024/04/13 11:01

高校日本一も筑波大でテニス引退&中退…杉村太蔵が明かす「燃え尽き症候群」の過去「大学6年間は何ひとついい思い出がない」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

高校3年で国体優勝を成し遂げ、スポーツ推薦で筑波大に進学した杉村太蔵。しかし、その学生生活は…

ダブルスのペア相手に「プレッシャーをかけすぎた」

 1997年8月、杉村はキャプテンとして最後のインターハイに臨む。最大の目標に掲げていた団体戦は、残念ながら前年の優勝校にベスト8で敗れ、「柳川を倒して日本一に」の悲願はかなわず涙をのんだ。

 一方、後輩選手と組んで臨んだ個人戦のダブルスでは第1シードを撃破するなど快進撃を見せ、準決勝まで勝ち進む。東京の私立強豪校ペアとの一戦はファイナルセットまでもつれ、5-5で杉村の後輩のサービスゲームを迎える。タイトルへの執念に燃える杉村は、鬼の形相で後輩をにらみつけた。

「いいか、1ポイント目が大事だぞ。絶対にファースト(サーブ)を入れろよ。絶対だぞ!」

 はたして、前衛で構える杉村の後ろから飛んできたのは、ハエが止まるようなひょろひょろサーブ。相手選手の強烈なリターンを食らい、そのサービスゲームを落としてしまう。結果、5-7で敗れて決勝進出を逃してしまった。

「バッコーンと打ち込まれて……後輩にプレッシャーをかけすぎてガチガチにしちゃった僕のせいです。高校生なので、まぁ若気の至りですかね……」

反省が活かされた国体「のびのびやれ」

 杉村は当時を振り返り、苦笑いを浮かべる。しかし、このインターハイでの“失敗”が、その1カ月後に大阪で開催された「なみはや国体」で活かされる。

 北海道代表として、インターハイと同じ後輩選手とともに国体に出場した杉村。反省を活かし、今度は後輩に「思い切ってのびのびやれ」と語りかけ、プレッシャーから解放させた。そのかいもあって、見事に優勝を果たすのだ。

 杉村のプロフィールでは「国体ダブルス優勝」と書かれていることが多いが、正確にいうと国体はシングルス2本、1勝1敗の場合はダブルス決戦という「団体戦」だ。監督の緒方も含め「オール札幌藻岩」で国体に臨んだ杉村は、15歳から抱き続けてきた「北海道から日本一に」の悲願をついに果たしたのだ。

なぜあんな大学生活になってしまったんだろう

 高校最後の大会で山頂にたどり着いた杉村。この先もテニスでの輝かしいキャリアが待っている、と周りの誰もが思っていたし、自分もそう信じて疑わなかったはずだ。

 しかし、その後の彼を待ち受けているのはあまりに数奇な、そして過酷な運命だった。

【次ページ】 歯科医一家も「継ぐつもりはなかった」

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