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「世界女王ともライバルだった」〈テニス天才少女〉は錦織・大坂フィーバーの陰でなぜ「消えた」のか…錦織圭と同学年・森田あゆみ引退後の「今」
posted2025/03/21 17:00

2008年、全仏オープンで戦う森田あゆみ(当時18歳)。フォア・バック両手打ちは今となっては極めて珍しい
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山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph by
Getty Images
14歳で全日本選手権8強入り、15歳でプロ転向し「テニス天才少女」の呼び声高かった選手がいる。森田あゆみ。錦織圭と同学年で、ジュニア時代から、のちに世界女王となるアザレンカやウォズニアッキらと互角に戦った。世が世なら「錦織・森田時代」を築いていたかもしれない「天才」に、表舞台から姿を消しつつも33歳まで苦闘を続けた時代、そして今目指す新たな旅立ちを聞くNumberWebインタビュー。〈全2回の1回目/つづきを読む〉
もう10年以上前の話だが、当時日本を代表する女子選手のツアーコーチを務めていた3人の男性コーチに、座談会のかたちで話を聞いたことがあった。その一人が、15歳の若さでプロに転向した森田あゆみを13歳の頃から見てきた丸山淳一コーチだった。
1990年代に女子国別対抗戦のフェドカップ(現ビリー・ジーン・キング・カップ)のコーチを務め、シドニー五輪のチームにもコーチとして加わり、個人的には杉山愛のツアーに同行していたこともある丸山の指導のもとで、森田は15歳での全日本選手権優勝など早くから才能を開かせ、そのときは24歳になっていた。
丸山コーチの思いがけないほどの決意
インタビューの最後に聞いた「コーチとしての目標、夢」というテーマで、丸山コーチが話したことを今でもよく覚えている。冷静な表情の奥に、思いがけないほどの熱量を感じたからかもしれない。
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「時間がどれくらいかかるかわかりませんが、まずは森田のケガを治すこと。必ずこのケガを克服させて、彼女のベストキャリアを更新する。それは何がなんでもやり遂げたい」
その3年前の2011年には自己最高の世界ランク40位をマークした森田は、ケガに苦しんでいた。今にして思えば、当時の苦しみはまだ序の口にすぎなかったのだが……。