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高校日本一も筑波大でテニス引退&中退…杉村太蔵が明かす「燃え尽き症候群」の過去「大学6年間は何ひとついい思い出がない」
text by
堀尾大悟Daigo Horio
photograph byYuki Suenaga
posted2024/04/13 11:01
高校3年で国体優勝を成し遂げ、スポーツ推薦で筑波大に進学した杉村太蔵。しかし、その学生生活は…
大学ではテニスをやらなかった
テニスでスカウトされ、推薦を受けて大学に入っているのだから、本来は大学のテニス部に入部するのが既定路線だ。しかし、高校で「日本一」の目標を達成した杉村には、次に目指す目標が見つからず、もはやテニスを続ける意味を完全に見失っていた。テニス部から何度も声をかけられるが、ひたすら無視し続けた。
「入部しないにしても、本来は自分から断りの連絡を入れなければいけませんよね。でも、そうわかっていても電話をしようとする気力すらわかない。それほどの精神状態だったんです」
不調を言語化できないもどかしさ
自ら望んで進んだ大学ではないから、授業を聴いてもまったく面白くない。キャンパスを歩いてラケットバッグを持ったテニス部員とすれ違ったら、冷たい目で睨まれる――次第にキャンパスから足が遠のき、下宿先に引きこもるようになっていく。
「昼過ぎに起きて、食べて、また寝て……今考えたら想像もできないような堕落した生活をしていました」
1998年当時は、「バーンアウト」の言葉もそれほど浸透しておらず、主だった研究もない時代。だから杉村自身、自分の置かれている状況をうまく言語化できず、もどかしさを抱えたままでいた。
何にも興味が起こらず、頑張る気力もない。この状態は、いったい何だろう……?
24歳で退学「僕の過去にはそういう時代がある」
「スポーツの最高学府」でもある筑波大学だからメンタルトレーニングの研究も進んでいるのでは、と杉村は学内のさまざまな研究論文を調べてみた。しかし、試合中にパフォーマンスを最大化するための研究はあっても、バーンアウトに関する研究はほとんどなかった。
やる気の出ない自分をなんとか変えたいと、法学部への転部も試みた。司法試験の勉強にもチャレンジした。それでも状況を打開できないまま、大学6年目、24歳の杉村は大学からの退学を余儀なくされる。
「18歳から24歳の、人生でいちばん輝かしいはずの時期を、僕はそうして過ごしてきました。普段はテレビに出て、明るく元気よく振る舞っているように見えると思いますが、僕の過去にはそういう時代があるんです」
テニスとともに歩み、栄光を手にした人生から一転、テニスとは無縁どころか、世間からも隔絶された光の見えないトンネルを、杉村はさまよい続けていた。