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高校日本一も筑波大でテニス引退&中退…杉村太蔵が明かす「燃え尽き症候群」の過去「大学6年間は何ひとついい思い出がない」
text by
堀尾大悟Daigo Horio
photograph byYuki Suenaga
posted2024/04/13 11:01
高校3年で国体優勝を成し遂げ、スポーツ推薦で筑波大に進学した杉村太蔵。しかし、その学生生活は…
「僕の人生で、大学での6年間というのは何ひとついい思い出がないんです。自分でも、なぜあんな大学生活になってしまったんだろう、と……」
大学時代のことに話題を向けると、杉村はそう言ってしばし言葉を詰まらせた。
高校時代の栄光から一転、何が起こったのか。思い出したくもない6年間を、杉村は重い口を開いて少しずつ語り始めた。
歯科医一家も「継ぐつもりはなかった」
祖父の代から歯科医の杉村家にとって、長男である太蔵は“家業”の歯科医を継ぐべき存在として家族の期待を一身に受けてきた。両親は「浪人してでも歯科大学に」と諭したが、18歳の杉村はそれをかたくなに拒んだ。
「人の口の中にまったく興味がないんです。絶対に歯医者を継ぐつもりはありませんでした」
一方で、国体優勝のタイトルを手にした杉村のもとには、関東、関西の強豪大学から多くのスカウトが舞い込んだ。その中から彼が選んだのは関東の強豪校、筑波大学だった。
大学入学時にはラケットを握る気力すらなくなり……
大学への進学も決まり、部を引退後もしばしばコートで汗を流していた杉村。しかし、自身の心身面でのある「異変」に気づく。
「まず、すごく疲れるんです。それに、テニスしていても楽しくない。いくらいいショットを決めてもちっとも嬉しくないんです」
引退したばかりだし、少し休めば大学に入学する頃にはまた意欲も戻るだろう――そんな淡い期待を抱いていたが、逆に大学に入学した頃にはラケットを握る気力すら残っていなかった。
「バーンアウト(燃え尽き症候群)」に陥ってしまったのだ。