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高校日本一も筑波大でテニス引退&中退…杉村太蔵が明かす「燃え尽き症候群」の過去「大学6年間は何ひとついい思い出がない」
text by
堀尾大悟Daigo Horio
photograph byYuki Suenaga
posted2024/04/13 11:01
高校3年で国体優勝を成し遂げ、スポーツ推薦で筑波大に進学した杉村太蔵。しかし、その学生生活は…
実家からは「働かないなら死ね!」
ほぼ引きこもり状態の6年間を過ごし、筑波大学からの退学を余儀なくされた杉村。実家からの仕送りも途絶え、困り果てて父に電話で「旭川に帰ろうと思う」と相談したところ、強烈な“リターン”を見舞われる。
「働かないなら死ね!」
その一言で目が覚め、「このままじゃいかん」とあわてて就職活動を始める。しかし、2000年代初頭の当時は「超」がつく就職氷河期。大学に6年も在籍した挙句に追い出された24歳の若者を相手にしてくれる企業などなかった。
そして、杉村は国会議員になる
藁にもすがる思いで派遣会社に登録し、なんとか清掃会社での職を得た杉村。当時住んでいた千葉県市川市から始発の総武線に乗り、東京・赤坂の山王パークタワーで6時半から清掃員として働いた。
「毎朝、総理官邸の裏の坂道を降りて出勤していました。ここに小泉(純一郎・元首相)さんがいるんだな、と思いながら……まさか2年後、この小泉さんにあいさつに行くとは夢にも思わないですよね(笑)」
その後、ビル清掃の仕事で外資系証券会社の社員と出会ったのをきっかけに同社で雑用の仕事を始める。その時期に自民党の衆院選候補者の公募に合格し、2005年の衆院選で自民党の圧勝を受け35位の比例名簿からまさかのタナボタ当選で、知名度もまさに全国区になっていく。
そして、政治家となった杉村は約6年ぶりに再びラケットを握ることになる。
<つづく>