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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「岡ちゃん、本当にオリンピック行けるぞ」岡崎慎司が“クビ候補”から一気に日本代表に駆け上がった日「あの衝撃は今も忘れられない」
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byJMPA
posted2024/04/10 11:01
北京五輪に出場した岡崎慎司。新人の頃から指導する杉本トレーナーは、当時は潜在能力を信じきれていなかったと胸の内を明かす
「プロになって、スピード不足を解消するには自助努力だけではどうにもならない、手詰まりだってことに気づいたのだと思います。アスリートは、自分の長所を伸ばそうとするタイプか、短所を改善しようとするタイプかに分かれます。岡崎は、後者。自分の弱点を見抜いて、最大限の努力をする。この発想と行動力が、強みなんでしょうね」
この年、岡崎のリーグ戦出場は1試合、11分間のみ。カップ戦を含めてもわずか5試合でしかプレーできなかった。
シーズンが終わり、杉本はチーム全員に呼びかけた。
「オフの間、浜松で自主トレをやるよ。誰でも参加していいよ」
手を挙げたのは、岡崎ただ一人だった。
「誰の言葉とトレーニングを信頼するべきか。岡崎は、それを見抜く力に秀でていたのだと思います。別に僕の指導が優れているとかではなくて、岡崎は自分にはどんな練習が必要で、どんな指導を受けるべきか分かっていた。最近のサッカー界では、小手先のテクニックや最新の施設を前面に出して、ビジネスばかり意識した胡散臭いトレーナーも多いですし、それに騙されてしまう選手もたくさんいます。でも、シーズン前に大切なのは、開幕してから技術や能力を発揮するための土台を作ること。リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドも、チームが始動する前は、ほとんどボールを触りませんからね。岡崎は、それを直感的に理解していたのだと思います」
「俺、北京オリンピック行きたいっす」
ウサギとカメで例えれば、岡崎は明らかにカメだ。杉本とのトレーニングにコツコツ、コツコツ取り組むものの、具体的な成果はなかなか表れなかった。
「高校時代まで、練習の中身や質よりも、とにかく頑張る、頑張る、頑張るという、量で成功体験を積み重ねてきた子ですからね。だからこそ、新しい走り方の感覚が、なかなかインプットされなかった」
2006年のリーグ戦は7試合出場無得点。クラブ内では、期限付き移籍の噂も流れた。翌2007年は21試合に出場して5ゴールを決めたものの、MFでの起用が多く、先発定着とはならなかった。
それでも岡崎本人の目は、ルーキーの頃と変わらず輝いたままだった。杉本に向かって、堂々とこう宣言した。
「俺、北京オリンピック行きたいっす」
杉本は、苦笑い。心の中では「五輪の前に、まずはエスパルスでレギュラーになれよ」とつっこんでいた。正直、潜在能力を信じきれていなかった。あの瞬間を迎えるまでは――。