水沼貴史のNice Middle!BACK NUMBER
中村敬斗23歳が楽しむフランス生活「ナチュラルな自分が一番いい」戦友・伊東純也の話題プラス…水沼貴史と大盛り上がりの“意外なネタ”って?
text by
水沼貴史Takashi Mizunuma
photograph byDaisuke Nakashima
posted2024/03/27 17:01
スタッド・ランスでの中村敬斗。ナチュラルな笑顔が23歳らしい
中村 最後のシーズンは1年半くらい積み上げてきたものが、うまくハマって花が咲いたというか。
水沼 敬斗君のキャリアを簡単に振り返ると、2018年に高2の冬に飛び級でJリーグデビューしてから翌年に海外移籍。オランダでは苦しい時期も味わったと思う。ゴールの重要性だったり、自分をアピールすることの大切さを改めて学んだ時間だったのではないかな。
中村 (2020年6月に加入したベルギーの)シント・トロイデンでの半年間はなかなか試合に出れない時期が続き、とにかく出場できるところに行きたいと強く思うようになりました。U-20W杯に出場したとはいえ、日本で実績のない自分には良い条件のオファーが来ないと理解していたので、リンツのセカンドチーム(オーストリア2部)からオファーを受けた時は迷いなく決めました。
水沼 試合に出る環境を最優先に考えたんだね。
中村 はい。当時はガンバ大阪からのレンタルで、試合に出られないなら帰ってきてほしいという話もあったんですが、まだこっちで挑戦したい気持ちが強かったし、リーグのレベルを下げてでも、まずは試合の感覚を取り戻さないといけないと思っていました。半年間、活躍できたことでトップに引き上げてもらい、1年目の終盤に得点を重ねて、2年目に一気に爆発した感じです。
三菱養和時代から「今のままではプロで…」
水沼 当時20~21歳で、腐らずに冷静に自分の状況を見つめられていたことが今に繋がっているんだね。昔から海外挑戦への意欲は強かったの?
中村 ガンバ大阪にお世話になる前から海外でプレーしたい思いはずっとありました。U-20W杯後に複数のオファーをいただき、そこでトゥエンテを選びました。
水沼 当時の後輩たちも“ケイト先輩”の向上心に刺激を受けたという話があるようだけど。
中村 向上心が一番高かったのは高校時代(三菱養和SC)かもしれないですね。もちろん、今もあるんですけど(笑)。当時はU-17W杯に向けて毎月ある代表活動に選ばれることが目標で、チームでの活躍は絶対でしたし、常に課題を克服して成長していかないといけなかった。あと、高1の終わりごろからプロの練習に参加し始めた経験も大きかったですね。FC東京やジェフ、レッズ、もちろんガンバも。U-17W杯の後にシュツットガルトやリーズといった海外クラブの練習にも参加できたので、そこでレベルの違いを肌で感じ、「今のままでは絶対プロで活躍できない」と危機感をもっていました。
個性を伸ばすといっても、わがままではダメだよ
水沼 それを養和のみんなに還元していたのか。プロの練習も誘いがあったからこそ行けるわけだけど、それを後押しするクラブの方針や個性を伸ばす指導が水にあっていたんだね。