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「巨人から5000万円ももらってません」“空白の1日”江川事件…あの日、小林繁に何が起きたのか?「羽田空港からハイヤーで連れ去られて…」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/03/16 17:02
1979年、江川事件で巨人から阪神へ電撃移籍した小林繁(当時26歳)。あの日、小林に何があったのか?
しかし、セ・リーグ会長の鈴木竜二は契約を認めず、巨人だけがボイコットした1978年11月22日のドラフト会議では、1位江川で4球団競合の末に阪神が交渉権を獲得。だが、その後も事態は二転三転し、金子鋭コミッショナーからの「強い要望」もあり、球団間のトレードでの解決が模索されるわけだが、その交換相手に選ばれたのが、エース格の小林だった。
新聞報道で江川騒動を追いながら、小林はチームメイトと「そんなことが本当にできるのか?」と話し、先輩とのゴルフでは落としどころのトレードで、その相手は「ボクか高田(繁)さんじゃないかな」とすら口にしていた。年末のサンケイスポーツでは「江川譲り小林」の見出しが一面を飾ったが、それでも、いざ自分が指名されたとなると頭がまっ白になった。サラリーマンの飲み会で次に異動させられるのはアイツ、いやオレかもなんて冗談で盛り上がって、実際に飛ばされたのは本当に自分だった……みたいな展開だ。
「これは茶番劇だ」
空港で車に乗せられ、連れて行かれたのはホテルニューオータニの5710号室。そこでひとりで待っていた長谷川実雄球団代表から、「なんとか事情をくみ取ってもらいたい」と阪神行きを宣告される。相談ではなく、移籍通告である。もちろん考えさせてほしいと言ってはみたものの、巨人のリーグ脱退・新リーグ設立まで報じられる異常事態を鎮めるために、最後は誰かが行くしかないのは分かっていた。
同日の午後4時、東京・芝の東京グランドホテル「菊の間」では、阪神の小津正次郎社長と江川が並び入団会見が開かれる。阪神・江川誕生も、記者陣からはすかさずトレード前提の茶番劇と糾弾された。
「野球をやめます」
そして、小林の方は午後1時から7時間ほど滞在したホテルの裏口から出て、報道陣の車に追われながら巨人の球団事務所に連れて行かれ、夜8時半から重役たちとの話し合いが始まる。巨人側の正力亨オーナーだけでなく、阪神側の小津社長もその場にいたという。