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「なるべく多く借金を背負いたい」“空白の1日”巨人・江川事件…悲劇のヒーロー・小林繁とは何者だったのか?「殴り合いもしたエース」 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2024/03/16 17:01

「なるべく多く借金を背負いたい」“空白の1日”巨人・江川事件…悲劇のヒーロー・小林繁とは何者だったのか?「殴り合いもしたエース」<Number Web> photograph by KYODO

1971年、ドラフト6位で巨人に指名された小林繁。“瘦身エース”のプロデビューは1973年だった

 王貞治の一本足打法を参考に改良を加えた投球フォームで、先発に抑えにフル回転して、プロ2年目(1974年)で規定投球回にも到達。44試合8勝5敗2セーブ、防御率2.42という好成績を残し、多摩川の練習後には若い女性ファンがプレゼントを手に列を作る。その年限りで現役引退して監督に就任する長嶋茂雄も「まるで一昔前のグループサウンズみたいですね」と驚きながらも、「小林らの出現で新しいファン層が開拓される」と喜んだ。

 巨人の主力投手として定着しながらも、小林はどこか危うさも持ち合わせた選手だった。3年目の1975年には練習中に罰走を命じた投手コーチが先に帰ってしまい、雨の中で数時間にわたり必死に走り続けた小林は激怒し、ユニフォームを泥水に叩きつけ「もうやめてやる!」とプロゴルファーへの転身に向けて動き出すのだ。先輩たちに引き留められ、最終的にはコーチに頭を下げて戻ったが、小林は本気で野球を辞める気だった。

 そんな痩身に燃えるような激情を秘めた男は、ある先輩選手からの「コバ、一度でも死ぬ気になって野球に取り組んだことがあるか? オレは、お前を見ていて、そうは見えない。野球をやめるなんて言葉を吐くのは、死ぬ気になってやった後にしろ!」(『情熱のサイドスロー 小林繁物語』近藤隆夫、竹書房)という叱咤に横っ面を張られたような衝撃を受け、目の色を変えて野球に取り組むようになる。

「なるべく多くの借金を背負っていたい」

 長嶋監督1年目は球団初の最下位に終わったが、これ以上スーパースターのミスターに恥をかかすわけにはいかない。自分たちが強い伝統の巨人軍を守らなきゃダメだという使命感が背中を突き動かした。小林は1976年、77年と2年連続18勝をあげ、長嶋巨人の連覇に貢献。1977年には沢村賞にも選ばれた。

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