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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
《消えた天才》結婚生活が9カ月で破綻のち「地獄に落ちたPK失敗」世界最強FWになるはずが今は無所属…アレシャンドレ・パト34歳の悲運
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama
posted2024/03/01 11:00
ACミラン時代のアレシャンドレ・パト。若くして煌めいた才能によって、2010年代を代表するストライカーとしての期待値が高まったが……
故障が多いストレスを夜遊びで紛らわせるようになり、10年4月、わずか9カ月で結婚生活が破綻してしまった。
その後は、体調不良のためクラブでの出場機会が減少。12年は故障のせいでほとんどプレーできず、13年1月に母国の強豪コリンチャンスへ移籍した。この年は、久々にレギュラーとしてプレーした。しかし、コパ・ド・ブラジルの試合がPK戦までつれ込み、5人目のキッカーを務めた際、GKのタイミングを外そうとした緩いキックが難なくキャッチされて敗退。サポーターが激怒し、以後はホームゲームでボールに触る度に痛烈なブーイングを浴びた。
PK失敗で男性ファンから受けた“痛烈な嫉妬”
これには伏線があった。
ブラジルでは、ルックスの良い選手は女性ファンに人気があるがゆえに男性ファンから嫉妬され、「闘志に欠ける」という批判を受けることがしばしばある。サンパウロでの若手時代、カカも同様の批判に悩まされた。
「コリンチャンスでは久々に良いプレーができていたのに、あのPK失敗で全サポーターを敵に回した。たった1つのミスで地獄に落ち、居場所を失った」
以後、サンパウロへ期限付き移籍した後に「もう一度、欧州で輝きたい」と考えて16年1月、チェルシーへ期限付き移籍したが、半年間に2試合でプレーしただけ(1得点)。この年7月、ビジャレアルへ移籍したが、ここでも不調だった。
17年から2年間、中国リーグの天津権健(現:天津天海)でプレーした後、サンパウロ、オーランド・シティ(MLS)に在籍したが、目立った活躍はできなかった。
34歳、無所属だが「引退するつもりはない」
「中国はブラジル、欧州とは習慣もメンタリティーも全く異なっていた。知人もおらず、とても孤独だった。でも、そのお陰で自分を見つめ直すことができた。その後、ブラジルへ帰ってきて現在の妻と知り合い、精神的な安らぎを得た」
23年はサンパウロでプレーしたが、コンディション不良で10試合に出場しただけ(2得点)。年末に契約が満了し、以後は所属クラブがない。