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「ラーメン屋はJリーガーよりも難しい」プロ19年・盛田剛平(47歳)が家族に内緒で始めた第二の人生「正直、赤字」でも、なぜ笑顔? 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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photograph byYuki Suenaga

posted2024/02/02 11:00

「ラーメン屋はJリーガーよりも難しい」プロ19年・盛田剛平(47歳)が家族に内緒で始めた第二の人生「正直、赤字」でも、なぜ笑顔?<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

2023年3月にラーメン屋「盛田軒」をオープンした盛田剛平さん(47歳)

 盛田の朝は早く、夜は遅い。そして、週7日間スケジュールはびっしりと埋まっている。J2ザスパクサツ群馬でプレーした2017年シーズン限りで現役を引退後、「浦和レッズハートフルクラブ」のコーチへと就任。現在もコーチとして小学生たちの指導に当たる日々を過ごしながら、いわば副業としてラーメン店を開店させた。だから2023年3月のオープン以降は、「盛田軒」のオーナー兼店長、サッカー指導者、そして2児の父と、“三足の草鞋”を履いた生活を送っている。

「子供の指導、特に“心のあり方”を伝えるという指導者の仕事は好きですよ。それでもラーメン屋の仕事をするなら、一度サッカー界から離れるべきではないか、と考えたこともありましたし、今も揺れているのが本音です。子供が起きる前に家を出て、子供が寝たタイミングで帰宅する。そうなると、家庭的な問題も出てくるわけですから。

 でも、世間からみた自分の賞味期限じゃないけど、話題性があるうちにどうしてもラーメン店を出したかった。それに……やりたいことをやらずに人生が終わるのは、やはり嫌だったんです」

6クラブが競合した大型FW

 愛知県名古屋市出身の盛田は、全国大会出場を目指して神奈川県の名門・桐蔭学園に進んだ。文武両道で知られる同高からは30名以上のJリーガーも輩出しているが、特に盛田の在学時には1学年先輩に森岡隆三、後輩に戸田和幸と、後の日本代表が揃っていた。

「先輩、後輩を見ていたのでプロ入りなんて夢にも思わなかった」と述懐するが、進学した駒澤大学では大学ナンバーワンストライカーとの評価を受け、Jリーグの6クラブが獲得に動くほどの選手に成長。さらに勉学にも励み教員免許まで取得した。

 1999年に鳴り物入りで加入した浦和レッズでは、思うような出場機会は得られなかったが2002年に移籍した大宮アルディージャ(当時J2)で左サイドハーフとして頭角を現し、2004年には「高さのあるFW」を求めていたJ1サンフレッチェ広島へと移籍を果たした。

【次ページ】 全国にラーメン行脚…忘れられない名店の味

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