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「ブサイク」「おばさん」というヤジも…高知の人気女性ジョッキーが経験した“容姿への誹謗中傷”「女性騎手はアイドル化している」 

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大恵陽子

大恵陽子Yoko Oe

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2024/02/12 06:00

「ブサイク」「おばさん」というヤジも…高知の人気女性ジョッキーが経験した“容姿への誹謗中傷”「女性騎手はアイドル化している」<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

多くの観客の目にさらされるジョッキー。なかでも相対的に数の少ない女性ジョッキーに対しては騎乗以外の部分が脚光を浴びるケースもある

――えっ! 今の姿からは全く想像がつかないです。

宮川 父が調教師で環境に恵まれていました。高知競馬は当時、経営が厳しくて大変な時期ではありましたけど、その分、騎手が少なかったのでレースにはたくさん乗せてもらえました。デビューしてレースに乗れるのがすごく楽しかったし、いっぱい勝たせてもらって、調子に乗っていたと思います。根拠のない自信があって、先輩の方が経験や技術があるのに「この先輩よりは上手く乗れる」と内心では思うこともあって(笑)。若くて、勘違いすることもありました。

地元・高知のため「PRは全然苦にならなかった」

――壁にぶつかったことは?

宮川 女性の新人騎手は負担重量が4kg軽くなる制度があって、スタートを上手く決めて前の位置につければ勝てることが多かったんですけど、ちょっと勝ちはじめて癖馬にも乗るようになったり、減量も少なくなってきたりすると、レースの奥深さを感じて壁にぶつかるようになってきました。

――レースに加えて、宮川調教師は高知競馬のPR活動にも積極的に参加されました。フリーペーパーの取材や、バラエティー番組への出演、全国各地のイベントなど様々ありましたね。

宮川 デビュー当時は高知競馬の経営が厳しくて、デビュー前から地元の関係者にも地方競馬教養センターの教官にも「他の競馬場でデビューした方がいいんじゃない?」とまで言われていました。だけど、地元なので「自分がどうにかして盛り上げたいな」という気持ちがあったので、PRは全然苦にならなかったです。場所によっては翌朝の調教を他の騎手にお願いしないといけなくて迷惑をかけましたけど、それを見て競馬場に来てくれた女性ファンや、ファンレターをくれた人もいて、嬉しかったです。

――幅広い層のファンができましたね。

宮川 10年くらい前、愛媛から初めて高知競馬場に来てくれた3歳くらいの男の子がいました。そのお母さんが「まだ言葉を喋らなかったのが、最初に口にした言葉が『真衣ちゃん』だったんです」と教えてくれました。それからずっと競馬場に来てくれて、私の勝負服を着て応援してくれるので、有名人でした。

騎乗以外の批判にさらされることも

――その子の人生に大きな影響を与えましたね。一方で、高知競馬の広告塔になることでの苦悩もあったのでは?

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