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「兄の賭博問題でヤジも」大谷翔平より“高評価だった”元ソフトバンク笠原大芽…博多ラーメン店で働く今「二軍慣れしていた」「常連客から店長に」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2024/02/03 11:00
2012年12月、ソフトバンクからドラフト指名を受けた笠原大芽(福岡工大城東高)
「雑誌で1位にしてもらったのは高校2年生の終わり頃です。ドラフトよりもずっと前のこと。実際、プロに入った時はそんなに注目を浴びていたわけでもなかったし、僕自身も決して自信満々というわけではありませんでした。じっくり体づくりをしていけば、成長できるんじゃないか。すぐに一軍は難しくても、プロの世界で鍛えていけばいつか活躍できると思っていました」
足元を見つめ地道に一歩ずつ。その意味では、笠原は思い描いた通りにプロ野球人生をスタートさせていた。1年目は基礎体力をつけながら三軍戦で実戦経験を積んだ。2年目には二軍のウエスタン・リーグで先発を任されるようになり、夏場には若手選手の登竜門であるフレッシュオールスターにも選出、シーズンオフにはプエルトリコのウィンターリーグへ武者修行のために派遣された。そして3年目にはウエスタン・リーグで開幕投手を務めるまでになった。その年も一軍デビューはお預けとなったが、最初の3年間は土台作り。高卒選手のモデルケースのような歩みだったといえるだろう。
もう準備はできた。いざ勝負へ。だが、そんな矢先の出来事だった。
プロ3年目を終えようとした2015年秋、巨人の所属選手による野球賭博問題が発覚。世間は大騒ぎとなった。それに関与したとして球界を追放処分された1人が、実兄である笠原将生だったのだ。
「ホークスの中では逆にイジってくれて…」
かねてより、笠原は「球界のサラブレッド」とも呼ばれていた。父・栄一はロッテにドラフト1位で入団し、最後は福岡ダイエーホークスでもプレーした。4つ年上の兄・将生は笠原がドラフト指名された頃にはすでに巨人一軍で先発し勝利投手にもなっていた。
「野球を始めたのは父の影響というより、兄の影響が大きかった。兄が野球のほかに通っていた水泳を自分も習いましたから」
そんな兄が……。笠原の心に暗い影を落とすことになったのは想像に難くない。事実、笠原も兄の球界追放を「悲しかった」と言う。弟として色眼鏡で見られたこともあっただろう。ときには、客席から心ない野次も――。