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「解任を知って嗚咽しました」「それも含めて柏木陽介だなと」広島で大遅刻、浦和で重圧に苦しんでも…なぜ恩師ミシャとファンに愛されたか
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byToshiya Kondo/Kiichi Matsumoto
posted2024/01/09 11:01
サンフレッチェ広島、浦和レッズで活躍した柏木陽介。当時の思い出を語った
「笑ってました(笑)」
――ミシャに怒られたことはないんですか?
「何度かありますよ。やる気がなかったら、出て行けって。それで実際に出て行ったこともあります(笑)。もちろん練習後に謝りに行きましたけど、それを19、20歳くらいの子どもがやってるわけですからね。本当に馬鹿だったと思いますよ」
それも含めて柏木陽介だったなと思ってます(笑)。
――もっとちゃんとやっておけばよかったという後悔の想いはありますか。
「いや、今となってはそれも含めて柏木陽介だったなと思っています(笑)。もちろん、もっとしっかりと取り組んでいれば北京オリンピックも出られたと思うけど、行けなかったことでその後の自分に繋がっていった部分もある。よく、『海外に行っておけばよかったと思いますか?』って聞かれるんですけど、そもそも行きたいと思ったことがないですからね。
(ヴァイッド・)ハリルホジッチ監督の時に代表に選出してもらって、その時は海外組が多かったから、サッカーにちゃんと向き合うなら行かないといけないかなとは思ったことはあるんですけど、僕の場合はやっぱり私生活も充実しないと、サッカーも充実しなかったと思うんです。だから、海外でプレーするのは難しかったでしょうね」
広島時代、ミシャから「行ってこい」と
――楽しかった広島での生活を捨てて、2010年に浦和レッズに移籍することになります。当時はどういった心境だったんですか。
「実はJ2に降格した2年目が終わったシーズンにも、他のクラブからかなりの良い条件でオファーがあったんですよ。でもその時はミシャに『今は行くな』と言われて。『俺の下でやった方が、絶対に上手くなるから』って。そもそも僕も目の前のお金にそんなに興味がなかったし、楽しいサッカーをして試合に出られる方を優先したかった。
まだまだミシャから学びたいという想いもあったので、行かなかったんですよ。ただその時にミシャからは将来的に浦和のようなビッグクラブからオファーが来たら、行ったほうがいいとも言われて。ビッククラブでプレーしなければ、得られない物もあるからって」
――それで2010年にオファーが来たと。