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「解任を知って嗚咽しました」「それも含めて柏木陽介だなと」広島で大遅刻、浦和で重圧に苦しんでも…なぜ恩師ミシャとファンに愛されたか
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byToshiya Kondo/Kiichi Matsumoto
posted2024/01/09 11:01
サンフレッチェ広島、浦和レッズで活躍した柏木陽介。当時の思い出を語った
「その時はミシャも、行ってこいって言ってくれました。周りの人からは、『ミシャの下でやった方がいいんじゃないか』ってアドバイスされたんですけど。それこそゴリさんにも出口さんにも『お前は広島でやった方が絶対にいい』って言われていました。でも結果的に行って良かったですよ。広島にいたら多分、みんなに甘やかされて、自分の好きなことをやっていただけだったと思うから。場所を変えて、環境を変えて、 何かを変えないといけないと思っていたので、自分としては良い決断をしたと思っています」
浦和で降格危機…“死に物狂い”になった瞬間
――ただ移籍した当時の浦和は厳しい状況でしたね。
「そうですね。(フォルカー・)フィンケさんの下で、多分今までにやったことがないサッカーをやっていて。しかも若手を重視していたから、ベテランと若手の間に溝があったんですよ。ベテランとからすれば『なんで、お前が出てんだよ』っていう想いがあったと思うし。当時の浦和は、みんな個の能力は高いんだけど、チームとしてのまとまりがなかった。広島の時にチームとして戦う楽しさを知っていたがゆえに、めちゃくちゃきつかったですね」
――そこをどう変えていったんですか。
「僕はコミュニケーションを取るのが好きだし、意外と礼儀正しくなんでもやる。だからちゃらちゃらしていると思われていた分、先輩から結構可愛がられていたんですね。それでベテランと若手の繋がりがないことを感じていたので、定期的に集まって、みんなでご飯食べましょうみたいなことを言ったんですよ。そうしたら徐々にそのような機会が増えていって、まとまりが生まれてきたんですよね。なかなか強くはならなかったけど、チームになっていく感覚はありました」
――2011年には残留争いに巻き込まれました。
「あの年は厳しかったですね。やっぱり自分は移籍組だから、サポーターからの圧もきつかった。その頃はまだ、自分が試合に出て、いいプレーできたらいいやっていう感じでしたけど、さすがに降格しそうになった時は死に物狂いでプレーしましたし、そこの苦しい2年間を乗り越えたからこそ、認めてくれるサポーターも増えたのかなと。それくらいの時からかな。やっぱり浦和は勝たなきゃいけないチームなんだなってことを、強く思うようになっていったのは」
ミシャ解任後の涙、ACL決勝までほぼ不眠症みたいに
――比較的早い段階から、浦和のファンに愛される存在になりましたよね。