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「解任を知って嗚咽しました」「それも含めて柏木陽介だなと」広島で大遅刻、浦和で重圧に苦しんでも…なぜ恩師ミシャとファンに愛されたか
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byToshiya Kondo/Kiichi Matsumoto
posted2024/01/09 11:01
サンフレッチェ広島、浦和レッズで活躍した柏木陽介。当時の思い出を語った
「もちろん、僕にもアンチはいたけど、意外と早い段階でチャントも作ってくれましたしね。来たばかりの頃は、それこそ書けないようなことを言われたこともありましたから(笑)。やっぱり、苦しい時期を一緒に乗り越えたことが大きかったと思うし、見た目はチャラチャラしていても、よく走るし、チームのために手を抜いてやったことがないから、そういう頑張りが、認められたのかなって思っています」
――浦和時代で一番印象に残っていることはなんですか。
「一番はやっぱり、ミシャが解任になったことですね。あの時は嗚咽するくらい、本当に泣きましたから。そこからACL決勝まで、ほとんど不眠症みたいな状態だったし、ご飯を食べても嘔吐しちゃうような日がずっと続いて。プライベートでもショックなことがあったので、それも重なって、あの時は本当にメンタルがおかしくなっていました。浦和では良いことをたくさん経験したし、楽しいこともたくさんあったけど、何か一つ思い出すとするなら、あの時にもっとなにかできたんじゃないかという後悔の想いですね」
年間勝点1位に鹿島の選手も「浦和は強かった」と
――浦和ではアジア王者に輝いたのをはじめ、数々のタイトルも獲得しました。リーグ戦を除いては。
「やっぱり獲りたかったですよ。でも、個人的には獲ったと思っているんで。2016年に年間勝点1位になりましたから(笑)。 (優勝した)鹿島の選手も言ってましたからね。『浦和は強かった』って。そう言ってくれたのは救いでしたよ」
――その前の年もファーストステージを無敗で優勝しましたが、チャンピオンシップでは勝てませんでした。
「あと一歩のシーズンが多かったですね。結果を出したのに、報われない。それは柏木陽介っぽいというよりも、ミシャっぽいかな。良いサッカーをするのに、最後に結果に手が届かないのが、ミシャなんですよ(笑)」
<つづく。第3回では日本代表への思いや、浦和から岐阜に籍を移しての日々について語ってくれた>