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「単勝1万3790円」ダイユウサクの有馬記念“史上最大の番狂わせ”はフロックではなかった…熊沢重文がいま明かす勝算「どうして人気ないのかな?」 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/12/23 11:02

「単勝1万3790円」ダイユウサクの有馬記念“史上最大の番狂わせ”はフロックではなかった…熊沢重文がいま明かす勝算「どうして人気ないのかな?」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

大本命のメジロマックイーンと武豊を破り、有馬記念の歴史に残る大波乱の主役となったダイユウサクと熊沢重文。勝ちタイムは当時のレコードだった

“超”がつくほど絶好調だったダイユウサク

 その名をさらに高めたのが、ダイユウサクとのコンビで、武豊・メジロマックイーンを完封した1991年の第36回有馬記念であった。熊沢さんはデビュー6年目の23歳。驚くべきことに、このときも、中山競馬場は初騎乗だった。

「内藤(繁春・元調教師)先生が師事していた鈴木信太郎さんの息子の鈴木清(元調教師)先生の伝手で、前哨戦で馬を用意してくれることになっていたんです。ところが、行ってみたら最終レースの馬でした(笑)。中山芝2500mは難しいコースだとわかっていたけど、人間があれこれ考えてもどうすることもできないので、馬とのコンタクトと、レースの流れをしっかり読むことだけを考えていました。あと、距離に不安があったので、ムダに外を回さないようにしよう、と」

 ダイユウサクは、熊沢さんが所属した内藤厩舎、すなわち自厩舎の馬だった。故障がちで、デビューは旧4歳の秋と遅くなり、初勝利は旧5歳だった89年の4月。その2走後から熊沢さんがレースでも乗るようになり、旧7歳になった91年、3連勝で金杯を勝って重賞初制覇。秋、朝日チャレンジカップ(7着)、京都大賞典(5着)、スワンステークス(4着)、マイルチャンピオンシップ(5着) 、阪神競馬場新装記念(1着)と来て、中1週で有馬記念に駒を進めてきた。

「マックイーンが一本かぶりの人気になっていましたけど、自信がありました。あの出来は絶対あのレースでしかつくれなかったというくらいのピークで、これ以上よくなったら壊れるんじゃないかと思うくらい状態がよかった。内藤先生が勝つ夢を見たという話は知られていますけど、ぼくも、担当していた平田(修・現調教師)さんも、パドックのオッズ板を見て、『どうして人気がないんだろうね』と話していたんです」

 単勝137.9倍のブービー人気(15頭立て)だったのだが、筆者は、ダイユウサクの単勝と、メジロマックイーンとの馬連を的中させた。ダイユウサクを買ったのは、前年の天皇賞・秋で、11番人気の低評価ながら、直線入口で簡単には後退しなかった走りが印象に残っていたから。それを熊沢さんに伝えると、特に驚いた様子はなく、こう応じた。

「勝ち負けは別にして、格上のレースを使うことで目覚める馬も多いんです。負けてシュンとしちゃう馬もいるから難しいんですけど、あの馬は、天皇賞がきっかけとなって、その後3連勝した部分もあると思います」

【次ページ】 「“無欲の勝利”なんて絶対にない」

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