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「シンジは優しすぎてNOと言えなかった」フェイエ小野伸二はなぜ“ビッグクラブ”に移籍しなかった?「休養すべきときも日本代表のために…」 

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ミコス・ハウカ

ミコス・ハウカMikos Gouka

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2023/12/20 11:03

「シンジは優しすぎてNOと言えなかった」フェイエ小野伸二はなぜ“ビッグクラブ”に移籍しなかった?「休養すべきときも日本代表のために…」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

フェイエノールトで信頼を勝ち取った小野伸二(2002年11月、ロッテルダムで撮影)。周囲はさらなるステップアップを期待していた

 敗れたPSVには小野と中盤で激しいデュエルを繰り広げ、後にバルセロナ、バイエルン・ミュンヘン、ミランでもプレーした、ライバルのマルク・ファンボメルがいた。準々決勝のセカンドレグでファンボメルは鮮やかなミドルシュートで先制点を決めたが、後半アディショナルタイムに2枚目のイエローカードをもらってしまった。PSVのキャプテンは当時をこう振り返る。

「オノとは何度もピッチ上で戦った。彼は最高のチームプレーヤーであり、テクニックのクオリティーが本当に高い選手だった。僕とオノの激しいマッチアップはオランダでよく知られていた。僕たちは常にリスペクトしあっていた。試合後、彼と自然に握手やハグをかわしたことを今でも覚えている。UEFAカップのあの試合は、僕たちの勝負の中でも最高潮と言えるものだった。どの試合か忘れてしまったけど、彼と交換したユニフォームが実家にあるはずなんだ。今度帰ったら探してみるよ」

「欧州のトップに立つ実力があったんだ」

 フェイエノールト1年目の目覚ましい活躍を受けて、誰もが小野の輝かしい未来を夢想した。しかし、彼がヨーロッパのビッグクラブにステップアップすることはなかった。

「今もフェイエノールトの関係者は『シンジ・オノはすごかった』と話すんだ。私もシンジはフェイエノールトを経由してトップクラブに行くものだと思っていた。本当に残念だ。シンジにはヨーロッパのトップに立つ実力があったんだ」(ペトロビッチ)

 度重なる日本代表への招集が小野のコンディションに大きく影響した――と指摘する声は多い。ファンマルバイクはこう証言する。

「シンジがヨーロッパのトップ中のトップクラブにステップアップできなかったことを今でも不思議に思う反面、確たる理由もあったと思う。もちろん、日本とオランダを行き来しながら代表チームでプレーし続けたことが響いた。その負担はあまりにも大きすぎた。たまには代表招集を辞退してくれたらよかったんだけど、シンジの性格がそれを許さなかった」

 さらに詳しくバーンは語った。

「シンジがヨーロッパのトップにたどり着けなかったのは、その優しい性格が災いしたのかもしれない。シンジは日本代表の中心選手として、招集に『NO』とは言えなかった。フェイエノールトでハードな試合をして、時には負傷して休養を要した時にも日本のために戦い、そしてロッテルダムに戻って、息つく間もなくフェイエノールトの一員としてピッチに立った。満身創痍だったんだよ。日本代表を辞退することは“裏切り”だと感じていた可能性もある」

【次ページ】 「ファンペルシーのように移籍できた」

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